"掴まず、抗わず、流れとともに" 第56話
知らないことだらけ、だからこそ世界はまだ面白くなれる。
前回までで見てきたように、
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進化は「真実そのもの」を見せるよりも
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「生き残るのに役立つ情報だけ、そこそこ見えればいい」
という方針で、
私たちの感覚や認知をチューニングしてきました。
タマムシがビール瓶にダマされるように、
私たち人間もまた、
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甘いもの
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SNSの通知
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数字で見える評価
といった「それっぽい刺激」に
簡単に振り回されてしまう存在です。
ここで、一つのラディカルな言葉が出てきます。
「私たちは現実の0%しか知らない」
誇張を含んだ表現ではありますが、
この一文の「感じ」を掴むことができると、
生きづらさとの付き合い方が
かなり変わってきます。
今日は、この「0%前提」に
あえて立ってみたときに何が起こるのかを、
丁寧に見ていきます。
1. 「分かっているつもり」の安心感と、その裏側の窮屈さ
まず、普段の私たちを振り返ってみます。
私たちは日常的に、
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「あの人はこういう性格だ」
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「この業界はもう先がない」
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「自分はこういう人間だ」
といった“理解”を使いながら、生きています。
これ自体は悪いことではありません。
むしろ、世界をある程度「分かったつもり」になれなければ、
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一つひとつの状況に毎回戸惑い続け
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一歩も前に進めなくなってしまう
からです。
しかし、この「分かっているつもり」は、
次のような形で生きづらさを生みます。
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一度ラベルを貼った相手を、
そのラベル通りにしか見られなくなる -
一度「自分はこうだ」と決めた自己イメージに
自分で自分を縛り付けてしまう
そして何より、
「本当は分かっていないかもしれない」という不安を
必死で押し込めながら生きることになる
という点です。
心のどこかで、
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「本当は、そんなに分かっていない」
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「こんな薄い理解で決めつけていいのだろうか」
と感じていても、
それを認めることが怖い。
だからこそ、
余計に「分かったこと」にしがみつき、
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新しい情報を拒否し
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自分と違う意見を攻撃し
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変化の可能性を切り捨てる
方向に行きがちになります。
2. 「0%しか知らない」は、敗北宣言ではなく「立ち位置」の話
ここであえて、
「私は現実の0%しか知らない」
と言ってみるとどうなるでしょうか。
ポイントは、この一文を
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「どうせ何も分からないから、何をしても無駄だ」
という絶望の表明としてではなく、
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「自分の見ている世界が、
巨大な現実の、ほんの端っこでしかない」
という立ち位置の確認として使うことです。
つまり、
「私はバカだ」と言うのではなく
「世界のほうが圧倒的に大きい」と認める
ということ。
このニュアンスをつかめると、
「0%前提」は、意外なほど静かな
安心感と自由さをもたらします。
なぜか。
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「全部分かっていなければならない」という
無茶な義務感から解放されるからです。 -
「分からない自分」が、
欠陥ではなく 仕様 に近いものとして
受け止められるからです。
3. 世界・他人・自分、それぞれに対して「0%前提」を置いてみる
もう少し具体的に、
三つの対象について「0%前提」を置いてみます。
① 世界について
ニュースやSNSを眺めていると、
私たちはつい、
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「世界はもう終わっている」
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「この国はもうダメだ」
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「未来には希望がない」
といった、一気に断定的な結論に飛びつきがちです。
しかし、実際に自分が知っているのは、
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限られたメディアとタイムライン上に流れてきた
ごく一部の出来事だけ
です。
世界で起きている膨大な出来事のうち、
自分が直接見聞きしているのは
ほとんどゼロに近い部分しかありません。
「私は、世界の0%しか知らない」
と置き直してみると、
次のような余白が生まれます。
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「世界は暗い」と感じるのは、
「自分のタイムライン上が暗い」ということかもしれない -
「全部ダメだ」と言い切る代わりに、
「自分の観測範囲は、今こうなっている」と言い換えられる
これは、問題を無視するためではなく、
「観測範囲」と「世界の全体」を混同しないための
ささやかなブレーキ
です。
② 他人について
人間関係でも同じことが起きます。
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「あの人はいつも自己中心的だ」
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「あの人は冷たい」
-
「あの人は絶対に変わらない」
といった判断は、
多くの場合、
自分がその人の「ある場面」で見た
行動や言葉にもとづくものです。
しかし、相手の人生全体から見れば、
自分が知っているのはごく一部
下手をすれば 0.1%にも満たない断片 かもしれません。
「私は、この人の0%も知らない」
と一度だけ心の中でつぶやいてみると、
こんな変化が起こりえます。
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断定しきる言葉が少し弱まり
「少なくとも、私が知っている範囲では」と言い換えられる -
相手の言動の背景に、
自分には見えていない事情があるかもしれない
という想像の余地が生まれる
これだけでも、
人間関係の「詰み感」は
少しずつ緩んでいきます。
③ 自分について
そして、何よりも厄介なのが「自分」です。
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「自分はこういう人間だ」
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「自分はここまでの器だ」
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「自分の限界はこのあたりだ」
私たちは、自分のことについても
驚くほど早い段階で「分かったつもり」になります。
しかし冷静に考えれば、
自分の可能性も、変化の余地も、
自分自身でさえほとんど知らない。
人生経験の多くはまだこれから起きるし、
自分がどんな状況に置かれたときに
どんな力を発揮するのかも、
実際には試しきれていません。
「私は、自分の0%しか知らない」
と置いてみると、
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「どうせ自分なんて」という諦めの物語に
少しひびが入り始めます。 -
「自分を定義しきること」を
いったん保留にして、
「まだ見たことのない自分」が
どこかに潜んでいる可能性を認められるようになります。
これは自己啓発的な「無限の可能性がある!」
という話ではありません。
ただ静かに、
「今の自分イメージは、
ほんの一時点の観測にすぎない」
という距離を取ることです。
4. 「0%前提」は、責任放棄ではない
ここまで聞くと、
こんな不安が出てくるかもしれません。
「全部0%って言い出したら、
何も判断できなくなるんじゃないか?」
「分からないことを理由に、
責任から逃げてしまうのでは?」
ここで、はっきりさせておきたいポイントがあります。
「0%前提」は、
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判断そのものをやめる
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何も決めない
-
現実から逃げる
ための理屈ではありません。
そうではなく、
「どれだけ考えても、“仮の理解”でしかない」
という前提を置いたうえで、
その時点でベストと思える判断を下す
という態度です。
つまり、
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「完全な真実をつかむ」ことを目標にするのではなく
-
「今の自分に見えている範囲で、
なるべく誠実に、柔らかく選ぶ」ことを目標にする
という切り替えです。
これは、責任放棄どころか、
むしろ 「分からなさを抱えたまま責任を引き受ける態度」 に近い。
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「全部分かったうえで決めた」と
自分にも他人にも言い張ることはできないけれど -
「今の自分に見える範囲では、
こうするのが良さそうだ」と
正直に選んでいく
そうやって積み重ねる判断のほうが、
長い目で見ればずっとしなやかで、
修正も効きやすくなります。
5. 「分からなさ」を含めた言葉に言い換えてみる
ここからは、
日常で試せる具体的な言い換えの例を挙げてみます。
① 世界・社会について
NGパターン(よくやりがち):
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「この国はもう終わっている」
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「世界はどんどん悪くなるだけだ」
置き換え案:
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「少なくとも、今の自分の観測範囲では
こういうニュースや出来事が目についていて、
それが自分にはとても重く感じられている。」
一見、まわりくどい言い方ですが、
ここには次の要素が入っています。
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「今の自分の観測範囲では」
-
「自分にはこう感じられている」
つまり、
「そう感じる自分」を認めつつ、
「それが世界の全体とは限らない」余白を残している
ということです。
② 他人について
NGパターン:
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「あいつは最低の人間だ」
-
「あの人は絶対に変わらない」
置き換え案:
-
「これまで自分が見てきた範囲では、
あの人のこういう言動が、とてもつらく感じられている。」
こちらも、
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自分の感情を否定はしていない
-
ただし、それを相手の“本質”として断定するところまでは行かない
という距離感です。
③ 自分について
NGパターン:
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「自分はダメな人間だ」
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「自分はどうせ何をやっても続かない」
置き換え案:
-
「今までの自分の経験では、
こういうパターンで挫折してきたことが多い。
だから今も、同じようになるのではと怖くなっている。」
この言い換えをすると、
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「ダメな本質をもつ人間」ではなく
-
「あるパターンにハマりがちな人間」
として自分を見直せます。
パターンであれば、
少しずつ変えたり、条件を変えたりする余地があります。
6. 生きづらさを、「分からなさの拒否」から「分からなさとの共存」へ
ここまでをまとめると、
生きづらさの一部は、
「分からなさ」を拒否し続けてきた結果
生まれているのかもしれない
と言えます。
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世界の分からなさ
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他人の分からなさ
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自分自身の分からなさ
これらをすべて「解消すべき問題」として扱い続けると、
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常に不安を追いかけ
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絶えず答えを探し回り
-
「まだ足りない」と自分を責め続ける
終わりのないゲームに巻き込まれます。
一方で、
「現実の0%しか知らない」という前提を置くことは、
「分からなさ」を敵ではなく、
最初からそこに在る背景 として見直すことでもあります。
そのうえで、
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分からないまま、できる範囲で選ぶ
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分からないまま、相手の言葉を聞く
-
分からないまま、少しだけ試してみる
という「分からなさとの共存」の方向に
舵を切ることができます。
7. 今日のささやかな実践:「まだ分からない」を一言、足してみる
最後に、
とても小さな実践をひとつ。
今日一日のどこかで、
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何かを断定しそうになったとき
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自分や他人を決めつけそうになったとき
心の中で、
もしくは実際の言葉として、
次の一言を足してみてください。
「……かもしれない。
でも、まだ分からない。」
-
「あの人とはもう分かり合えない、かもしれない。
でも、まだ分からない。」 -
「自分にはもうチャンスはない、ように見える。
でも、本当のところはまだ分からない。」
この「まだ分からない」という一言が、
世界と自分のあいだに
小さな余白をつくり出します。
その余白こそが、
このあと扱っていく
-
「退屈さ」
-
「世界の薄っぺらさ」
といった感覚を
別の角度から見直していくための
足場になっていきます。