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「間違っているまま」で続けるという才能

"掴まず、抗わず、流れとともに"  第65話


成功は「全部正しかった結果」ではない

前回までで見てきたのは、

  • ブコウスキーは、自分を“敗者”だと自覚していたこと

  • それでも、(だからこそ)その敗者ぶりを取り繕わずに書き続けたこと

  • そして、その「負け犬のまま書く」という姿勢が、妙なリアリティと救いを生んでいたこと

でした。

今回は、そこから一歩進めて、

成功とは、「すべてが正しく行われた結果」なのか?

という前提そのものを疑ってみます。

ブコウスキーの人生は、むしろ逆を示しているように見えるからです。


1. 「成功=全部正しくやった結果」という、便利だけど苦しい物語

多くの成功物語は、
こんな構図で語られます。

  1. 若い頃に正しい志を持ち

  2. 正しい努力を積み重ね

  3. 失敗しても学びに変え

  4. 最終的に、大きな成功を手に入れる

ここに暗黙の前提があります。

「成功した人は、
 多くの場面で“正しい選択”をしてきたはずだ」

この前提は、
聞く側に安心感を与えます。

  • 「正しい選択」を見極める力があれば、自分も成功できるかもしれない

  • 「正しい努力」を続ければ、いつか報われるかもしれない

しかし同時に、
この前提は私たちを
かなり苦しいところにも追い込みます。

  • ひとつ間違えたら終わりなのではないか

  • 「正しい努力」ができていない自分は、ダメなのではないか

  • いま自分がやっていることは「正しい」のか?と、常に自問自答し続ける

そして現実を見れば、

  • どれだけ真面目にやっても報われない人

  • 明らかにダメな選択ばかりしているのに、なぜかうまくいってしまう人

が普通に存在します。

「成功=正しさの積み重ね」という物語は、
分かりやすくて気持ちのいい説明ですが、
現実を説明するにはずいぶん不十分でもあるのです。


2. ブコウスキーの第2の教訓:「間違いに満足すること」

ブコウスキーの人生は、
この「成功=正しさの結果」という物語に
かなり露骨に逆らっています。

  • アルコール依存

  • ギャンブルでの散財

  • 仕事への無気力

  • 人間関係の破綻

  • 社会的には底辺と呼ばれる生活

客観的に見れば、
「間違い」と「自爆」だらけです。

それでも彼は、最終的に
世界中で読まれる作家になりました。

ここで、
ブコウスキーについて語る人たちが
よく引用する一節があります。

「成功は、すべてが正しく行われた結果ではない。
 多くの場合、それは
 “間違っていることに満足している結果”にすぎない。」

この「間違っていることに満足している」という表現は、
いかにも彼らしい、ひどくひねくれた言い方です。

しかし、その裏側には
鋭い洞察があります。

  • 自分の生き方が「正しい」とは到底言えない

  • 社会的には失敗者だと分かっている

  • それでも、「だからこそ書けるものがある」とどこかで腹をくくっている

要するに彼は、

「自分の生き方は、多くの意味で“間違っている”。
 でも、その間違いを抱えたまま書く。
 それが自分にできる唯一のやり方だ。」

という態度で、
人生と仕事を続けたのだと言えます。

この「間違いを訂正することでなく、そのまま抱えて続ける」という発想は、
一般的な「成長」「改善」の感覚とは
かなり違います。


3. 「孤立は贈り物」という、危うくも強い感覚

ブコウスキーの代表的な詩のひとつに
「Roll the Dice(賽を投げろ)」があります。

その中の有名な一節(意訳)は、こうです。

やるなら最後までやれ。
そうでなければ、始めるな。

それは、ガールフレンド、妻、親戚、
あるいは自分の心を失うことを意味するかもしれない。

3〜4日何も食べないことになるかもしれない。
冷遇や嘲笑、孤立を意味するかもしれない。
——孤立は贈り物だ。

他のすべては、
どれだけ本当にやりたいのか、
君の忍耐を試すテストにすぎない。

拒絶され、
最悪の状態に置かれても、
君はそれをやり続けるだろう。

それは他の何よりも優れたものとなる。
やるなら最後までやれ。
こんな気持ちは他にない。

君は神々と二人きりになり、
夜は火で燃え上がるだろう。
君の人生は完璧な笑いに向けて真っ直ぐ進む。
——それが唯一の良い戦いだ。

この詩は、一歩間違えると
危ない方向にも使われかねないほど
ラディカルです。

  • ガールフレンドや妻、親戚、
    さらには自分の心すら失う可能性を受け入れろ、と言う。

  • 飢えや孤立や嘲笑を
    「贈り物」とまで言い切る。

普通に考えれば、
こんな生き方は勧められません。

しかし、この極端な言葉の中で
彼が言おうとしているのは、
おそらくこうです。

他人から見て「正しい」「間違い」以前に、
自分にとって「どうしてもやめられないもの」があるなら、
そのために孤立し、損をし、「間違った人間」に見られることを
ある程度まで引き受けろ。

つまり、

「みんなにとっての正しさ」よりも、
「自分にとっての必然」を優先してしまうこと。

このとき、世界から見れば
それはしばしば「間違った生き方」に見えます。

  • 安定したキャリアを捨てる

  • 理解されない創作を続ける

  • お金にならない活動に人生を注ぎ込む

それらは、
他人から見れば「愚かさ」「未熟さ」「逃避」に
見えるかもしれません。

それでもなお、
その「間違い」にどこかで満足してしまえる人間だけが、
何かしらの「やり切った感覚」に
辿り着くことがあるのだ、と
ブコウスキーは言っています。


4. 「正しさ」に縛られすぎると、動けなくなる

ここで、
私たち側の話に戻します。

現代は、「正しさ」に敏感な時代です。

  • 仕事の仕方も

  • 人間関係のコミュニケーションも

  • メンタルケアも

  • お金の使い方も

  • 子育ても

あらゆる領域に「正しいやり方」「あるべき姿」が
大量に提示されます。

それ自体には意味があります。
多くの人が苦しまないように、
ある種の「セーフティ」を社会全体で共有することは、
とても大事です。

しかし、問題はここからです。

「正しさの基準」が増えれば増えるほど、
私たちは「間違ったらいけない」という恐怖で
身動きが取れなくなっていく。

  • 正しいキャリア選択とは何か

  • 正しい夫婦関係とは何か

  • 正しい親子関係とは何か

  • 正しい趣味の持ち方とは何か

  • 正しい休み方とは何か

それらを考えれば考えるほど、
どんな選択をしても
「どこか間違っている気がする」。

そして、「間違わないように」と思うあまり、
一歩も動けなくなってしまう。

そんなとき、
ブコウスキー

「成功は、“間違っていることに満足している結果”でもある」

という視点は、
極端ではあるものの、
ひとつの解毒剤になります。

  • 「間違っているかもしれないけど、
    それでもやってみたい」という衝動

  • 「正しさの物差しでは測れないけれど、
    どうしてもやめたくない」という感覚

それらを
全部消そうとするのではなく、

「ある程度までは、間違ったまま走ってもいい」

と、自分に許可を出してみる。

そのとき、
ようやく動き出せることがあります。


5. 「意図的にズレたまま続ける場所」をひとつ持つ

ここまでの話を、
私たちの日常に落とすと
どうなるでしょうか。

現代の生活で、
ブコウスキーのような
「全部ぶっ壊して孤立しろ」という生き方を
真似する必要はありませんし、
おすすめもできません。

ですが、
次のようなことなら
やってみる余地があります。

意図的に「正解からズレたまま続ける場所」を
自分の人生にひとつだけ持つ。

たとえば

  • 収益化もフォロワー数も気にせず、
    本当に好きなテーマだけを書くブログを続ける。

  • 誰にも見せない「落書きノート」を続ける。
    そこでは「上手くなろう」とすらしない。

  • スキルアップやキャリアに直結しないけれど、
    不思議と惹かれる勉強や趣味を、
    あえて優先順位の下から外さない。

  • 年齢や社会的立場を考えると
    「今さらそんなことを」と言われそうな挑戦を、
    小さな範囲からでも始めてみる。

その場所では、
他人から見た「正しさ」は
いったん脇に置いておきます。

  • それはキャリアの役に立つのか?

  • それでお金になるのか?

  • 何かの成果に結びつくのか?

そういう問いに、
いちいち答えなくていい領域を
自分の人生の中に確保しておく。

それが、

「間違っているように見えることに、
 あえて満足してしまう」

という態度の、
現代版のやり方かもしれません。

もちろん、それは
無制限に自分を甘やかすこととは違います。

  • 生活全体を壊しはしない範囲で

  • 誰かを深く傷つけない範囲で

  • それでもなお「ズレた自分」を
    一部だけ許す

そのバランスを探ること自体が、
この時代を生きるひとつの技になってきます。


6. 生きづらさとの接続:「間違ってはいけない」が、しんどさを生む

最後に、「生きづらさ」との接点を
はっきりさせておきます。

多くの人にとっての
生きづらさのコアには、

「間違ってはいけない」
「失敗してはいけない」
「変な人に思われてはいけない」

という強い圧力があります。

それは、ある程度までは
私たちを社会に適応させ、
自分と他人を守ってくれます。

しかし、
それが過剰になってしまうと、

  • 何を選んでも「これで本当にいいのか?」と自分を責める

  • 少しの失敗で「人生が終わった」ように感じてしまう

  • いつも「正解を探すこと」に追われて、
    「自分が本当にやってみたいこと」を考える余地がなくなる

という状態に陥ります。

ブコウスキーのような
極端な生き方をそのまま真似る必要はありませんが、
彼が体現していた

「ある程度の間違いを、意図的に引き受けてしまう」

という態度は、
この「間違ってはいけない地獄」の
外側に出るヒントになります。

具体的には、こんな小さな問いを
自分に投げてみるところから始められます。

「これは“正しいかどうか”ではなく、
 “間違っているかもしれないけど、
 それでもやってみたいこと”だろうか?」

「この選択をしたら、
 何人かには『バカだな』と思われるかもしれない。
 それでも、自分にとっては
 “よい間違い”と言えるだろうか?」

その問いに「はい」と言えるものを
人生のどこかにひとつ置けたとき、
生きづらさは
ほんの少しだけ別の顔を見せます。

「正しく生きる」ことだけが、
 人生のゴールではなくなる。

「間違いを抱えたまま、
 それでも続けてしまう何か」を
 持っていてもいいのだ、と。