思想工学ブログ

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この“生きづらさ”は何なのか?

生きづらさ" - その生の残響構造を探る 第1話

目が覚めた瞬間、今日が始まってしまったことに、うっすらと絶望する。
誰に話せばいいのかもわからないこの感覚、それを、私たちは「生きづらさ」と呼んでいる。


■ 言葉にならない“重さ”の正体

「死にたいわけじゃない。でも、生きるのがつらい。」

この言葉を口に出せる人は、もしかしたらまだましなのかもしれません。
多くの人は、その“重さ”を言語化できないまま日々をやり過ごし、ただ疲れていきます。
このシリーズで扱う「生きづらさ」とは、医療的に定義される“病”ではなく、
制度でも家族でも会社でも誰も責任を取ってくれない、構造化されていない苦しみです。


■ 生きづらさ=個人の問題、ではない

「自分が弱いだけかもしれない」「みんなだって大変だし」と言い聞かせるその裏には、
苦しみが構造化されていないという、根本的な問題があります。

それは、責任の所在が曖昧なまま、「自己責任」に押しつけられた痛み。

このシリーズでは、この匿名化された苦しみに「仮構の名前」を与え、
それを解体と再構築によって見える形にしていきます。


■ 思想工学的アプローチとは何か?

本連載で採用するアプローチは、「思想工学」という独自の枠組みに基づいています。それは、単なるエッセイでも啓発でもありません。

思想工学 = 思考の構造を設計しなおす技術

  • 「なぜこう感じるのか?」という問いに、構造的・動的に応答する

  • 抽象論ではなく、「構造モデル」として苦しみの地図を描く

  • 哲学・心理・物語・感覚・制度の断片を、“不可分に”接続する

こうして、生きることそのものを思考し直す試みに繋がります。


■ 「問いのない苦しみ」から出発する

この連載では、「なぜこんなにも生きづらいのか?」という問いを核に据えます。
しかし、この問い自体がすでに構造化された問いです。

本当に深い苦しみは、「問い」すら持てません。
言葉にできない、沈黙に沈んだ痛み。
それにどう寄り添い、どうモデル化するか、そこから始めます。


■ 次回予告:

第2話では、問いの核心部
「なぜ私は、私の同意なしにこの人生に参加させられているのか?」
という、生の強制性というテーマから掘り下げていきます。


■ 編集後記

この連載は、みなさまの内面に眠っていた何かを「言語以前の構造」として拾い上げることを目指します。
「わかってくれる人がいた」と思ってもらえることが、思想工学における最初の“成功”です。


🪞みなさまへの問いかけ

  • あなたにとって「生きづらい」と感じる瞬間は、どんな時ですか?

  • それは、誰かに伝えられる種類のものですか? それとも、伝える言葉が見つからないものですか?