第1章:DOI誕生前夜 -「リンク切れ」という悪夢 (1990年代)
1990年代、World Wide Web(WWW)の登場により、世界中の研究者が自らの論文や研究成果をウェブサイトで公開し始めました。これは学術情報の共有にとって革命的な出来事でしたが、同時に深刻な問題を生み出しました。それが「リンク切れ(Broken Link)」です。
論文の中で引用されている文献のURLをクリックしても、
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ウェブサイトの構成が変わってURLが変更された
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サーバーが移転した
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ウェブサイト自体が閉鎖された
などの理由で、目的のページにたどり着けない事態が頻発しました。これでは、科学の根幹である「先行研究の参照と検証」が成り立ちません。学術界は、URLという変わりやすく儚いものに代わる、永続的な識別子の必要性に迫られていました。
第2章:DOIの誕生 - 永続的な識別子生成への挑戦 (1997年〜2000年)
この「リンク切れ問題」を解決するため、米国出版社協会(AAP)などが中心となり、コンテンツそのものに永続的なIDを付与するという画期的な構想が生まれました。
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1997年: DOIの構想が発表される。
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1998年: このシステムを管理・推進するための非営利組織「国際DOI財団(International DOI Foundation, IDF)」がスイスのジュネーブに設立され、DOIシステムが正式に始動します。
DOIの技術的な基盤には、インターネットの基礎技術開発で知られる米国研究機関CNRIが開発した「ハンドルシステム(Handle System)」が採用されました。これは、DOI(名前)とURL(場所)の対応関係をデータベースで管理し、場所が変わっても名前を辿れば必ずたどり着けるようにする仕組みです。
第3章:CrossRefの登場と学術界での爆発的普及 (2000年代)
DOIという仕組みはできましたが、それを普及させるには、実際にDOIを付与・管理する組織が必要でした。そこで、2000年に決定的な出来事が起こります。
Elsevier、Springer、Wileyといった世界の大手学術出版社が共同で、DOIの登録機関(Registration Agency, RA)として「CrossRef」という組織を設立したのです。
CrossRefの登場が普及の起爆剤となった理由は、単にDOIを付与するだけでなく、論文間の相互引用リンク(Reference Linking)サービスを提供した点にあります。これにより、ある論文の参考文献リストから、DOIを介して引用先の論文へワンクリックで飛べるようになりました。
読者の利便性が劇的に向上したことで、多くの出版社がこぞって自社の電子ジャーナルにDOIを導入し、DOIは瞬く間に学術論文の世界で「標準装備」となっていったのです。
第4.章:標準化と対象の拡大 (2010年〜現在)
DOIの信頼性と永続性はさらに高まっていきます。
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2010年: DOIがISO(国際標準化機構)によって国際規格 ISO 26324 として承認され、その地位が公的に確立されました。
そして、DOIの対象は学術論文だけにとどまらず、あらゆる「知のオブジェクト」へと広がっていきます。
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DataCite: 研究データを専門に扱う登録機関として設立され、データにもDOIを付与する流れを加速させました。
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JaLC (ジャパンリンクセンター): 日本でも、科学技術振興機構(JST)や国立情報学研究所(NII)などが中心となり、日本語の書籍や学術コンテンツにDOIを付与する体制が整いました。
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その他、政府刊行物、映像コンテンツ、ソフトウェアなど、様々な分野で専門の登録機関が設立されています。
特に近年では、オープンサイエンスの潮流の中で、研究の透明性や再現性を担保するために、論文の根拠となる研究データやプログラムコードにもDOIを付与することが強く推奨されています。これは、研究成果をFAIR原則(見つけられる、アクセスできる、相互運用できる、再利用できる)に則って管理するための鍵として、DOIが位置づけられているためです。
結論:現在のDOI - 知のインターネットを支える基盤へ
DOIは、「リンク切れ」という一つの問題を解決するために生まれましたが、今や学術論文だけでなく、研究データや政府報告書など、あらゆる知的生産物を恒久的に結びつけ、その信頼性を担保するグローバルな学術情報インフラへと成長しました。
DOIがあるからこそ、私たちは時空を超えて先行研究にたどり着き、その成果の上に新たな知を積み重ねることができます。まさにDOIは、現代の「知のインターネット」を根底から支える、不可欠な存在なのです。