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僕らはみんなサービス業

"掴まず、抗わず、流れとともに"  第131話


ここから次の章に入ります。
第121話から第130話までは、燃え尽きが起きる内側の構造を見てきました。

仕事が手段から目的にすり替わる。
能力が評価から存在価値にすり替わる。
意味の支柱が折れ、自己責任化が始まり、測定と管理がそれを加速する。

そこまで見た上で、次に問うべきことがあります。

なぜ、こんな配線がここまで広く普及したのか。

つまり、改造の外部設計図はどこにあるのか、という問いです。
第131話では、その入口として「僕らはみんなサービス業」という視点を置きます。

これは、職業分類の話ではありません。
接客業かどうか、販売職かどうか、そういう表面的な話ではない。
もっと広く、働き方の基本様式が変わったという話です。

結論を先に言います。

現代社会では、多くの人が何を作っているか以上に、どう振る舞うかで評価される。
だから僕らはみんな、程度の差はあれサービス業になった。
そしてそのことが、感情と人格を仕事の側へ引きずり出す。

サービス業とは、何を売る仕事なのか

製造業のイメージはわかりやすい。
材料がある。工程がある。完成品がある。
出来上がったものが価値を持つ。

もちろん現実はもっと複雑ですが、少なくとも価値の中心は「モノ」に置かれやすい。
何を作ったか。どれだけ作ったか。どれだけ正確に作ったか。
そこが主戦場になります。

ところがサービス業では、価値の中心がずれます。
何を渡したかだけではなく、どう渡したかが価値になる。

説明が丁寧だったか。
相手に安心感を与えたか。
空気を読んだか。
不快にさせなかったか。
先回りしたか。
柔らかく調整したか。

つまり、商品はモノや成果だけではなく、対応そのものになる。
そして対応とは、しばしば感情と態度と人格の表現を含みます。

ここで起きるのは、単なる業種の変化ではありません。
労働の評価軸そのものの移動です。

いまは接客していなくても、サービス業的に働いている

ここで「自分は接客業じゃない」と感じる人もいるはずです。
しかし第131話で言うサービス業化とは、店舗で笑顔を作ることだけを指していません。

たとえば、社内の調整。
会議での気配り。
チャットの文面の柔らかさ。
メールのトーン。
相手を立てる話し方。
不機嫌を見せないこと。
場を壊さないこと。
先回りして不安を消すこと。

これらは全部、サービス的な働き方です。

エンジニアでも、研究者でも、事務でも、管理職でも、教育職でも、医療職でも、創作者でも、同じことが起きる。
仕事の中に「成果物」だけでなく「相手の体験」が入り込む。
そして相手の体験を良くするために、自分の感情や態度が動員される。

この時点で、僕らはみんなサービス業です。

モノを渡すだけでは足りなくなった社会

なぜこんなことが起きたのか。
一つには、モノだけでは差がつきにくくなったからです。

品質が一定以上に揃う。
機能の差が見えにくくなる。
情報も比較も簡単に手に入る。
すると最後に競争力になるのは、体験です。

買って気分がよかったか。
相談しやすかったか。
やり取りがスムーズだったか。
不安を感じなかったか。
期待を上回ったか。

この「体験競争」が広がると、現場に求められるのは単なる作業能力ではなくなります。
相手の気持ちを読み、摩擦を減らし、満足度を上げることが重要になる。

問題は、この体験の担い手が人間であることです。
システムは対応できても、最終的に「感じの良さ」や「安心感」の供給源として人が使われる。
すると、労働者の内面が仕事資源として扱われ始めます。

サービス業化で起きる最大の変化

この章で見たい最大の変化は、仕事の負荷が身体や時間だけでなく、感情へ広がることです。

以前の労働にも感情はありました。
怒りも苛立ちも誇りもあった。
しかしそれは、仕事に伴って生じる副産物であることが多かった。

サービス業化した社会では、感情そのものが業務要件になります。

穏やかでいてください。
前向きでいてください。
感じよくいてください。
不快にさせないでください。
空気を壊さないでください。
つねに協力的でいてください。

ここで重要なのは、これらが「人格の自然な表現」として求められることです。
演技でもよいが、露骨な演技では困る。
本心でなくてもよいが、本心っぽく見えなければならない。

この中途半端さが、人を深く疲れさせます。

なぜ感情が疲れるのか

力仕事は疲れる。長時間労働も疲れる。
それはわかりやすい。
では感情労働はなぜ疲れるのか。

それは、自分の内側を出しているのに、自分のためには使えないからです。

笑顔を出す。
気遣いを出す。
丁寧さを出す。
穏やかさを出す。
共感を出す。

しかしそれは、自分が自然にそうしたいからではなく、役割上そうする。
しかも相手の反応によっては、もっと出すことを求められる。
不機嫌な相手にはさらに丁寧に。
不安な相手にはさらに安心を。
怒っている相手にはさらに冷静を。

つまり、自分の感情を使っているのに、自分の主権では使っていない。
このねじれが蓄積すると、人は「空になる」。

第124話で見た意味の崩壊は、こういう場所からも始まります。
頑張っても返ってこない。
誠実に対応しても無風。
むしろ丁寧さが追加要求を呼ぶ。

このとき折れるのは、相互性です。

サービス業化が、なぜ自己責任化と相性がいいのか

第125話で、自己責任化は最も安い統治技術だと書きました。
サービス業化は、この自己責任化と非常に相性がいい。

なぜなら、評価基準があいまいだからです。

ここまでやれば十分、が見えにくい。
どこまで気を使えば合格かが不明。
どこまで柔らかければいいのか。
どこまで先回りすればいいのか。
どこまで丁寧なら足りるのか。

基準が曖昧だと、人は自分で自分を追い立てます。

もっと感じよく。
もっと早く。
もっと配慮深く。
もっと相手目線で。
もっと期待以上に。

こうして終わりのない自己改善が始まる。
しかもこれは「善いこと」に見える。
だから止めにくい。

サービス業化した労働では、強制は命令の形では来ません。
善意と配慮と前向きさの顔をしてやって来る。
ここが怖いところです。

「いい人」であることが職務になる

さらに厄介なのは、サービス業化すると「いい人」であることが半ば職務になることです。

もちろん、本当に人柄が悪いより、感じがよい方がいい。
それ自体は当たり前です。
問題は、それが役割の付属物ではなく、評価の中心へ移動するときです。

いい人でいよう。
協力的でいよう。
気の利く人でいよう。
面倒を起こさない人でいよう。

これらが積み重なると、やがてこうなります。

不機嫌を見せてはいけない。
疲れを出してはいけない。
断ってはいけない。
境界線を引いてはいけない。

すると人は、怒りや疲労や違和感という重要な信号を押し込め始める。
押し込めた信号は消えません。
内側で熱を持ち、別の形で漏れます。

無気力。
空虚。
イライラ。
自己嫌悪。
回復不能感。

第122話で言った断線は、こういう静かな圧力でも起きるのです。

ここで見落としやすいこと

サービス業化の問題を語るとき、よくある誤解があります。
それは「昔はよかった」という話に流れてしまうことです。

そうではありません。
昔の労働にも別の過酷さがありました。
身体の酷使、危険、単純反復、露骨な支配。
それらはそれで重い問題です。

ここで言いたいのは、現代の苦しさの様式が変わったということです。

昔より楽になった部分がある。
しかし別の領域が労働化された。
その領域が、感情と人格です。

つまり、外から叩かれるだけではなく、自分の内側が働かされるようになった。
この変化を見ないと、現代の燃え尽きは読めない。

このシリーズの立場

ここでまた主題に戻ります。

掴まず、抗わず、流れとともに。

サービス業化した社会で苦しいとき、反応は二つに分かれやすい。

もっと感じよくなろうとする。
あるいは、こんな社会は間違っていると怒りで固まる。

前者は自己責任化に吸い込まれる。
後者は抗いの消耗に吸い込まれる。
どちらも長くは持ちません。

必要なのは、まず構造を見抜くことです。
自分が過敏なのではなく、感情まで労働資源として動員されている。
だから疲れる。
だから空になる。
だから、努力量の問題ではない。

これが見えると、初めて配置を変える発想が出てきます。
どこまで出すか。
どこから先は出さないか。
何を仕事に渡して、何を渡さないか。

脱改造は、ここから始まります。