"掴まず、抗わず、流れとともに" 第69話
限られた時間を、どう“使い切って”死にたいのか
前回までで、
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目的は「人から褒められるためのきれいなストーリー」ではなく
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「やらずにいると、かえって内側がざわついてくる偏り」に近いこと
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そして、その偏りを守ったまま、結果として“他人の役に立ってしまう”のがいちばん自然な道筋であること
を見てきました。
今回は、ブコウスキーの有名な一言を
この連載の文脈に引き寄せて考えてみます。
「好きなものを見つけて、それに身を任せて死ね。」
字面だけ見ると、
かなり物騒で危ういフレーズです。
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「身を滅ぼしてもいいから没頭しろ」
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「燃え尽きるまで突っ走れ」
といった、
旧来型の“根性論”にも読めてしまいます。
しかし、生きづらさを抱えたまま
現代を生きている私たちにとって、
このフレーズにはもっと静かで、
別の読み方もあります。
それは──
「どうせ死ぬのだから、
せめて“自分が選んだ何か”に
エネルギーを食べさせて死にたい。」
という視点です。
1. 「このまま終わるのでは」という鈍い恐怖
多くの人が、
ふとした瞬間に
こんな感覚に襲われます。
「このままの生活を続けていて、
そのまま老いて、気づけば終わってしまうのではないか。」
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仕事はそれなりにこなしている
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大きな事故もなく、表面的には順調
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でも「自分の人生を、生きた」という手応えが
どこか薄い
このとき湧いてくるのは、
映画のような劇的な恐怖ではなく、
じわじわとした鈍い不安です。
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大きな不幸もないけれど
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大きな喜びもなく
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気づけば、何に時間を使ったのか思い出せない
こんなとき、
「もっとがんばれ」「キャリアアップしろ」といったメッセージは
あまり効きません。
むしろ、
「今より“正しい生き方”を見つけなければならない」
というプレッシャーが加わり、
さらに身動きが取れなくなります。
ここでブコウスキーは、
もっと乱暴で、もっと直球の言い方をします。
「どうせ死ぬ。だったら、
自分が好きなものに
自分の人生を食わせろ。」
この感覚に触れてしまうと、
ある種の割り切りが生まれます。
「完璧な人生を目指すのはやめる。
せめて、何に食べられて死ぬかくらいは
こちらから選ぼう。」
2. 「死なないように生きる」と「何かに食べられて死ぬ」
生きづらさを抱えているとき、
私たちは知らずしらずのうちに、
「とにかく傷つかないように」
「失敗しないように」
「取り返しのつかない選択を避けるように」
というモードに入りがちです。
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仕事選びも
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人間関係も
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住む場所も
「マイナスを避ける」基準が大きくなる。
これは生存戦略としては
まっとうです。
ただ、これだけを続けていると、
人生のエネルギーのほとんどは
「死なないように生きるため」
に使われてしまいます。
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無難な仕事
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無難なコミュニケーション
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無難な休日
それ自体を責める必要はありませんが、
どこかのタイミングで、
「では、いったい何のために、
死なないようにしているのか?」
という問いが顔を出します。
ここで、ブコウスキー的な
乱暴だけれども妙に誠実な視点が入ってきます。
「どうせ死ぬ。
死なないように生きるだけでは、
ただ“生き残った”だけで終わる。どこかのタイミングで、
“何かに食べられて死ぬ”ことを
自分の意志で選ぶ必要があるのではないか。」
これは、
自分を粗末に扱えという話ではなく、
「消耗を、他人任せにしない」
という宣言に近いものです。
3. 「好きなものに食べられる」とは、どういう状態か
ここでいう「好きなものに食べられる」とは、
たとえば、こんな状態です。
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どう考えても割に合わない量の時間を
ある分野の勉強に突っ込んでしまう -
お金にならないと分かっていても、
どうしても作り続けてしまう作品がある -
いつも頭のどこかで
同じテーマのことを考えている
それは外から見れば「ムダ」に見えます。
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もっと楽な仕事があるのに
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もっと儲かる分野があるのに
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もっと安定した道があるのに
わざわざ「効率の悪いところ」に
時間とエネルギーを注いでしまう。
しかし、そのムダこそが、
ブコウスキーの言う
「好きなものに身を任せる」
という感覚の中身です。
重要なのは、
「それをやると幸せになれる」
ではなく
「それをやらないと、かえって病む」
という種類のものだという点です。
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仕事が忙しくても、その時間だけはなんとか確保したい
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休みの日、疲れていてもやり始めると止まらない
-
「もうやめたい」と思う瞬間が何度もあるのに、
気づくとまた戻っている
それは“趣味”という言葉では
片付かない何かです。
4. 「好きなものを見つけよう」と力むと、むしろ見えなくなる
ここまで読んで、
「いや、その“好きなもの”が分からないから困っている」
と感じるかもしれません。
このとき、
よくある罠があります。
それは、
「人生をかけられるほど好きなものを見つけよう」
と力んでしまうことです。
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仕事にもなって
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社会的意義もあって
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周囲からも理解されて
-
一生のテーマになり得て
そんな“完璧な対象”を探し始めると、
ほぼ確実に行き詰まります。
なぜなら、
そんなものは最初から
はっきりした形では存在しないからです。
ブコウスキーだって、
「世界的作家として生きる」という
壮大な“目的”を掲げて
郵便局を辞めたわけではありません。
彼の現実はもっと貧しく、乱暴で、単純でした。
「郵便局に残って気が狂うか、
ここを出て作家として遊んで餓死するか。
俺は餓死する方を選ぶ。」
格好良く言えばそうですが、
実際は
「少なくとも、郵便局で消耗し続けて死ぬのは嫌だ。
どうせ消耗するなら、
書くことで消耗して死にたい。」
という選択だったのでしょう。
つまり、
「死ぬほど好きなもの」を探すのではなく、
「どうせ死ぬなら、これに食べられた方がまだマシだ」
と思える対象を
見つけていく感覚に近いのです。
5. あなたの「これに食べられるならまだマシ」は何か?
ここで、
少し実務的な問いに変えてみます。
「どうせ消耗して死ぬのなら、
何に消耗させられて死ぬのなら、
自分はまだ納得できるだろう?」
たとえば──
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人の身体や心に関わる仕事で擦り切れて死ぬ
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言葉や物語をこね回しすぎて死ぬ
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ある特定の楽器やジャンルの音楽を
一生追いかけて、飽ききれないまま死ぬ -
誰も見ない研究やメモを積み上げ続けて、
誰か一人でも拾ってくれたらいいと思いながら死ぬ
それは、
他人から見れば「偏り」「ムダ」「こじらせ」に見えます。
でも、自分の内側では
こう感じられるものです。
「たぶんしんどいし、報われないことも多い。
それでも、“何もせずに終わる”よりは
ずっとマシな死に方だ。」
このラインが見え始めると、
人生の選択は
「正しいかどうか」ではなく、
「この消耗の仕方を、自分は引き受けられるかどうか」
という観点にずれてきます。
6. 「全部を賭ける」必要はない。ただ、10〜20%は明け渡してみる
ここまで読むと、
「じゃあ会社も辞めて、
全部をそこに賭けるべきなのか?」
という極論に走りたくなるかもしれません。
しかし現実的には、
それはほとんどの人にとって
危険なジャンプです。
ここで提案したいのは、
より地に足のついたやり方です。
人生の10〜20%くらいを、
「好きなものに食べさせる」と決める。
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毎日のうち1〜2時間
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週末の半日
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毎月の一定額の出費
など、
具体的な単位で決めてしまうのも手です。
その時間とお金だけは、
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割に合うかどうか
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役に立つかどうか
-
将来につながるかどうか
を一切考えずに、
「好きなものに食べさせる」ために使う。
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無駄に見える本を買う
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収益化を考えず記事を書く
-
誰も聴かないかもしれない音楽を作る
-
誰にも見せないノートを埋める
それを「散財」と呼ぶか、
「人生の種銭」と呼ぶかは、
かなり主観的な問題です。
ただひとつ言えるのは、
「人生のすべてを“正しい使い方”で埋めようとすると、
どこかで必ず行き詰まる」
ということです。
10〜20%だけでも、
「好きなものに食べさせる」領域があると、
残りの80〜90%での消耗にも
耐えられるようになることがあります。
7. 「掴まず、抗わず、流れとともに」と、“食べられ方”の選び方
この連載の副題
「掴まず、抗わず、流れとともに」の観点から
もう一度整理してみます。
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掴まず:
「完璧な人生計画」「正しい目的」「理想の働き方」といった
“唯一の正解”を追い求めて掴もうとするのを、
いったんやめてみる。 -
抗わず:
自分の中からどうしても繰り返し現れてしまう偏りや必然に、
いつまでも抵抗し続けるのではなく、
「仕方ない、これはもう付き合っていくしかない」と
白旗を上げてみる。 -
流れとともに:
「どうせ死ぬのなら、
この流れに身を任せて消耗していくのも悪くない」と
思える方向に、
少しずつ比重を移していく。
「好きなものに身を任せて死ね」という言葉は、
言い換えれば
「自分で選んだ流れに、
自分の人生を食べさせてやれ」
ということでもあります。
それは、
「努力するな」と同じく、
怠惰のすすめではありません。
-
努力を「努力している自分のための演出」に使うのではなく
-
偏りや必然のある方向へ
静かに乗せていくこと
その結果として、
消耗の仕方が
少しだけ自分の納得に近づいていきます。
8. まとめ:「死なないように」ではなく、「どう死に向かうか」
最後に、
今回のお話をコンパクトにまとめます。
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私たちはつい、「死なないように生きる」ことに
エネルギーを使いがちだが、
そのままだと「何のために生き残っているのか」という
空虚さにぶつかる。 -
ブコウスキーの
「好きなものを見つけて、それに身を任せて死ね」は、
自分の消耗の仕方を
他人や社会任せにせず、
自分の意思で選べ、という乱暴な提案でもある。 -
「死ぬほど好きなもの」を無理に探すのではなく、
「どうせ死ぬなら、これに食べられて死ぬ方がまだマシだ」と
思える対象を探してみる。 -
人生の10〜20%だけでも、
「好きなものに食べさせる」時間とお金を
意識的に確保すると、
残りの消耗の意味合いも変わってくる。 -
目的とは、
「どう死なないか」ではなく、
「どういう消耗の仕方で死に向かうか」という
質の問題に近い。
生きづらさが強いとき、
「もっと楽に生きたい」という願いが
前面に出てきます。
それはとても大事な願いです。
同時に、どこかのタイミングで、
「どうせ消耗するのなら、
この偏りに食べられて死にたい」
と静かに呟いてみることは、
生きづらさの輪郭そのものを
少しずつ変えていくきっかけになるかもしれません。