"掴まず、抗わず、流れとともに" 第67話
誰にも説明できない“自分だけの必然”という軸
前回までで、
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人生でいちばん大事なものは、ときに醜く見えること
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「痛みゼロ」の生き方を求めるほど、逆に手応えを失っていくこと
を見てきました。
今回は、そこからもう一歩踏み込んで、
目的は「他人に説明して褒められるためのもの」ではない
という、ブコウスキー流の
かなりラディカルな視点を扱います。
彼はこんな趣旨のことを言っています。
目的は、他の子どもたちに見せびらかすための
クールで整った何かとして見つかるのではない。
たとえ「本当はやりたくない」と思う瞬間があっても、
どうしたってやらずにいられない何かだ。
これは、「好きなことを仕事にしよう」よりも
ずっと不器用で、ずっと面倒くさい生き方です。
だからこそ、
「生きづらさ」を抱えているときの
一つの出口にもなり得ます。
1. 「目的=プレゼン用のプロフィール」になっていないか
まず、現代の「目的」の扱われ方から見てみます。
就活、転職、自己紹介、SNSプロフィール、面談、コーチング……
あらゆる場面で、こんな問いが飛んできます。
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「あなたのミッションは何ですか?」
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「どんな人生を生きたいですか?」
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「5年後、10年後のビジョンは?」
そこで求められているのは、多くの場合、
「聞き手が理解しやすく、好感を持てるストーリー」
です。
つまり、
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他人から見て「いい話」に見えること
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社会的にポジティブに評価されること
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履歴書や面接で語っても差し障りのないこと
としての「目的」が、
暗黙の標準になっています。
その結果、
目的はこんなフォーマットに
寄せられていきがちです。
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「人の可能性を広げる仕事がしたい」
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「社会課題の解決に貢献したい」
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「クリエイティブで多様性のある場を作りたい」
どれも立派で、間違っていません。
ただ、心のどこかで
こんな違和感が起きていないでしょうか。
「そう言っておいた方が、
“ちゃんとしている人”に見える気がする」
「本音をそのまま言ったら、
小さすぎる・ダサすぎる・利己的すぎる気がする」
このとき、
私たちが語っているのは
**「翻訳された目的」**です。
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人に伝えるために
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誤解されないように
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評価を下げないように
整え直されたバージョン。
その一方で、翻訳される前の
ドロッとした「原文」が
奥の方に眠っています。
ブコウスキーが言っているのは、
この「原文としての目的」の方です。
2. 目的は「クールで整ったトロフィー」ではない
ブコウスキーは、成功したあとも
こうした「翻訳された目的」を
ほとんど口にしませんでした。
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「文学を通じて世界を良くしたい」
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「社会にインパクトを与える作品を」
といった、
きれいな話をした形跡があまりない。
むしろ彼は、
自分の創作衝動を
「叫びたかった」
「うまくいかない人生の鬱憤を、紙の上にぶちまけたかった」
といった、
だいぶ不格好な言葉で表現しています。
彼にとって書くことは、
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かっこいいプロフィールに載せるための「目的」ではなく
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「それをやらないと、自分の中で何かが腐り始めるから
やらざるを得ない作業」
でした。
言い換えると、目的とは
「他人に説明すると、少し恥ずかしい」
けれど
「自分にとっては、やらない方がしんどい」
という種類のものです。
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子どもの頃から、
周りに理解されない趣味に異様に没頭してきた -
誰にも頼まれていないのに、
わざわざ面倒な記録を取り続けている -
お金にも評価にもならないのに、
同じテーマについて何度も考え直してしまう
そういう「説明しづらい偏り」の中に、
目的の原型が潜んでいることが多い。
それは、決してクールではなく、
フォーマットにも乗りません。
だからこそ、本物です。
3. 「やりたい」より先に、「やらずにいられない」がある
私たちはよく、
「本当にやりたいことが分からない」
と悩みます。
この問いは一見まっとうですが、
ブコウスキー式に言い換えると、こうなります。
「“やれたらいいな”のレベルではなく、
“やらずにいると、内側がざわついてくる”ことは何か?」
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疲れていても、
気づいたらまたやってしまっていること -
何度「もうやめよう」と思っても、
なぜかしばらくすると戻ってしまうこと -
無駄だと分かっていても、
つい時間を溶かしてしまう対象
それらは、
他人に説明するときには
「しょうもない趣味」として
自虐的に話すかもしれません。
しかし、
その「しょうもない」の中にこそ
あなたの「必然」がにじんでいます。
ここで大事なのは、
その必然は、必ずしも
「美しくて、社会的に評価されるもの」とは限らない
ということです。
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奇妙にニッチな知識
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誰も読まない長文メモ
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特定の音楽ジャンルへの異常なこだわり
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何度壊れても続けてしまう人間関係のパターン
こうしたものは、
キャリア本や自己啓発本には
絶対に載りません。
しかし、
「生の手触り」は
こうした偏りの中にしかありません。
4. 他人に説明するために「目的」を歪めていないか
目的がややこしくなるのは、
多くの人が次の二つを
ごっちゃにしてしまうからです。
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自分にとっての必然としての目的(原文)
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他人に伝えるためのストーリーとしての目的(翻訳)
例えば、本音はこうだとします。
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「自分自身の違和感を言語化し続けたい」
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「どうしようもない人間を描きたい」
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「意味のないものに、勝手に意味を見出してしまう自分が面白い」
しかし、これを
そのまま言うと伝わりにくい。
場合によっては怪しい。
そこで、
こんな「翻訳」が行われます。
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「人の心の機微を描く物語を通じて、
誰かの孤独を癒やしたい」 -
「弱い人間にも希望があると伝えたい」
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「ものの見方を変えるきっかけを提供したい」
翻訳された方も嘘ではありません。
ただ、順番が逆になると危険です。
「翻訳の方を“本物”とみなし、
本当の必然(原文)の方を
“みっともないから隠しておくべきもの”と扱ってしまう」
このとき、「目的」は
自分を縛る規格になっていきます。
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「人の役に立たなきゃ」
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「社会的に正しいことをしなきゃ」
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「感動を与えなきゃ」
と自分を追い込んだ結果、
肝心の「やりたかったこと」から
遠ざかっていく。
ブコウスキーがやっていたのは、
逆のことです。
まず「原文」に忠実であろうとし、
翻訳はあとから、必要な範囲だけやる。
だから彼の作品は
ときどき不快で、ときどき下品で、
ときどき読者を怒らせます。
それでも、
「妙に嘘が少ない感じ」が
最後に残ります。
5. あなたの「必然」をあぶり出す、いくつかの問い
では、私たちは
自分にとっての「必然」を
どうやって見つけていけばよいのでしょうか。
ここでは、
いくつかの問いを提案します。
ノートに書き出してみても構いませんし、
頭の中でゆっくりなぞるだけでも構いません。
問い①:誰にも見られないとしたら、何をしていたいか?
SNSも、履歴書も、
評価もスキルシートも関係ないとして。
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休日に、誰にもバレない前提で
ダラダラとやってしまうことは何か? -
それをしている最中の自分を、
他人に見せるのはちょっと恥ずかしい。
でも、その時間は妙に満たされている。
そこにはもう、
かなり濃度の高い「原文」が
しみ出しています。
問い②:やらないと、逆に気持ち悪くなることは何か?
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寝る前に、どうしてもニュースサイトを巡回してしまう
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なぜか毎週、同じジャンルの動画を見てしまう
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不安になると、決まって同じ種類の本を読み返してしまう
一見「悪習慣」にすら見えるものの中に、
何かの「入口」が開いていることがあります。
それそのものを肯定する、というよりも、
「なぜ自分は、これをやらずにいられないのか?」
という問いを
正面から見てみる。
その背後に、
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どんな不安
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どんな欲望
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どんな好奇心
がうごめいているのかを
覗いてみることです。
問い③:何度やめようとしても、気づくと戻ってしまうものは何か?
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「こんなの無駄だ」と思ってやめた趣味
→ 数ヶ月後、なぜかまた再開している -
「もう書かない」と決めたブログ
→ 気づくと、また下書きを作っている -
「もう考えるのはやめよう」と思ったテーマ
→ 何かあるたびに、そのテーマに戻ってしまう
ここには、
「理性では諦めているのに、身体が諦めていないもの」
が顔を出します。
そのしつこさこそが、
あなたの必然の輪郭です。
6. 目的は「きれいなゴール」ではなく、「どんなふうに死に向かうか」
ブコウスキーは、
人生の目的について
とても冷めた言い方もしています(意訳)。
「好きなものを見つけて、
それに身を任せて死ね。」
これはショッキングですが、
こうも読めます。
「目的とは、
『限られた時間とエネルギーを、
どんなふうに使い切って死にたいか』
という問いでしかない。」
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死なない人生はない
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すべてを得ることもできない
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何かを選べば、何かは必ず諦める
この前提に立ったとき、
目的は
「素敵な肩書きを手に入れること」
ではなく
「自分なりに納得して、
このエネルギーを使い切ること」
に近づいてきます。
「掴まず、抗わず、流れとともに」という
この連載の副題で言えば、
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掴まず:
「完璧な目的」や「正しい人生設計」を
掴み続けるのをやめる。 -
抗わず:
自分の中からどうしても湧いてきてしまう偏りや必然に、
完全には逆らわない。 -
流れとともに:
その必然が指し示す方向に、
少しずつエネルギーを乗せていく。
ということです。
7. 「語らなくていい目的」をひとつ持つ
最後に、
ブコウスキーの教訓を
日常レベルに落としてみます。
ここで提案したいのは、
とてもシンプルなことです。
「語らなくていい目的」を、ひとつ持っておく。
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人に聞かれたら、
あえてうまく説明しなくていいもの。 -
「なんでそれやってるの?」と聞かれたとき、
「うーん、うまく言えないんですけど、
なんか好きなんですよね」で済ませてしまうもの。 -
履歴書にもSNSにも書かなくていいけれど、
自分の毎日のどこかを
確実に占めているもの。
それは、
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小さな創作活動かもしれないし
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誰も見ないメモや日記かもしれないし
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ひたすら特定の音楽を聴いて考え込む時間かもしれません。
それを「目的」と呼ぶ必要すらありません。
ただ、
「これは説明しなくていい。
自分だけが知っていればいい」
と、自分に許可を出した途端、
それは急に「生きている時間」として
手触りを持ち始めます。
そこからにじみ出たものが、
いつか翻訳されて
誰かに届くこともあるかもしれない。
でもそれは、
あくまで「おまけ」です。
まとめると、ブコウスキーが教えてくれるのは、
目的は「人に綺麗に説明できるように整えるもの」ではなく、
「自分の中で、どうしても消せない偏りとして
最後まで付き合っていくものだ」
ということです。