"掴まず、抗わず、流れとともに" 第63話
“Try”という言葉が隠している、本当の逃げ
前回までで、
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郵便局という「安全な牢獄」
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「ここに残って狂うか」「出て餓死するか」という極端な二択
を通して、ブコウスキーの人生を
「生きづらさ」と「安定」の観点から眺めました。
今回は、彼の墓石に刻まれた
あの有名な言葉に、もう一歩踏み込みます。
DON’T TRY(努力するな)
どう見ても「努力して夢をつかんだ人間」が、
なぜこんな言葉を、最後にわざわざ選んだのか。
そしてこの一言は、
「よし、頑張るのをやめよう」という
安易な免罪符とは、なぜ違うのか。
そこを丁寧にほどいていきます。
1. 「努力している自分」ほど、扱いにくいものはない
まず確認しておきたいのは、
ブコウスキーが「努力ゼロ」で成功したわけでは
まったくない、ということです。
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何十年にもわたる不採用通知
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酔いにまみれながらも夜な夜な打ち続けたタイプライター
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生活が崩壊しても書くことだけは続けた頑固さ
そうした積み重ねがなければ、
50代からの作家デビューは
そもそもあり得ません。
にもかかわらず、彼は「Don’t try」と言った。
この矛盾のようなものをそのままにしておくと、
「努力しなくていいってことね」
「やりたい時だけやればいいって話でしょ」
という、
都合のいい誤読だけが
一人歩きしてしまいます。
ここでポイントになるのが、
英語の “try” という言葉が持つ、
微妙なニュアンスです。
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I’ll try my best.
-
I’m trying.
-
I’ll try to do that.
これらは一見、とても前向きで、誠実な表現です。
しかし、よくよく聞いていると、
私たちは経験的に知っています。
「try」と言われた時点で、
半分くらいは「やらないかもしれない」と
言われているようなものだ。
ということを。
「頑張ってみます」は、
時に「うまくいかなかったときの保険」であり、
「責任をぼかす言い方」であり、
「今ここで決めることからの退避」でもあります。
ブコウスキーの「DON’T TRY」は、
この“イタチ語としての try” を
真っ向から疑っている、と読むことができます。
2. 「試みる」のではなく、「やってしまう」もの
ブコウスキーの人生を振り返ると、
そこには「try」と呼べる時間は
ほとんどありません。
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「作家を目指してみた」のではなく、
社会的には完全に失敗しながらも、
酒とタイプライターの前に座り続けて「書き続けてしまった」。 -
「創作を試してみた」のではなく、
書くこと以外には何もできず、
それ以外の多くのことを崩壊させながらも
タイプライターに戻っていった。
そこにあるのは、
「やります」「やってみます」と宣言してやる行為
ではなく、
気づいたらまたやってしまっている行為
です。
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金にならないと知っていても
-
誰も読まないかもしれないと知っていても
-
自分の人生を改善してくれる保証が
1ミリもなくても
やめると苦しく、
やっても苦しい。
それでも、
放り出すともっと苦しい——
そういう「どうしようもなさ」の側にある行為です。
おそらく、彼にとって
詩や小説を書くことは、
「頑張って続ける対象」ではなく、
「頑張らなくてもやめられないもの」
でした。
だからこそ、彼は
「Do it」「Work hard」ではなく、
あえて逆向きの言葉を最後に残します。
「Try(試みる)なんて言っている段階で、
それは本物じゃない。
本物なら、『試みる』前に
もうやってしまっているはずだ。」
と。
3. 「努力しているふり」が、いちばんしんどい
ここで話を、
私たち自身の日常に戻してみます。
多くの人が生きづらさを感じる場面には、
こんな構図がよく見られます。
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本当はそこまでやりたくないのに、
「努力しなければ」「頑張らなければ」と
自分を追い立てている。 -
その一方で、本当にやりたいことや
どうしても頭から離れないことは
「そんなことしても食えない」と封じ込めている。
すると、心の中は次のように分裂します。
-
「こうあるべきだ」という理想像
-
その理想像に向かって
“努力しているふり”を続ける自分 -
それとは別に、
密かにうごめく「本当はこうしたい」という衝動
この三者が衝突するとき、
生きづらさは一気に強くなります。
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理想像に届かない自分を責める
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「努力しているのに報われない」感覚に沈む
-
その裏側で、「本当はやりたいこと」を封印しているストレスが溜まる
ブコウスキーは
この「努力しているふり」のゲームを
最初から放棄していました。
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立派な人間になろうとしない
-
好かれようともしない
-
成長している自分を演出しようともしない
その代わり、
どうしようもない自分の姿を
そのまま作品としてぶちまけました。
もちろん、それは
社会的にはとても危うい生き方です。
多くの迷惑をかけ、人も傷つけました。
それでもなお、
この「努力しているふり」を
最初から諦めていたことが、
彼の文章にしかない
異様な正直さを生んだのも事実です。
4. 「努力するな」は、「努力を言い訳にするな」
ここまでを踏まえると、
「Don’t try」は
単なる努力否定ではなく、
もっとこう言い換えられます。
「努力していることを言い訳にするな」
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「努力している自分」にしがみつくことで、
本当に見たくない自分の一面から
目をそらしていないか。 -
「頑張っているから偉い」という物語に依存することで、
「そもそもそれ、本当にやりたいの?」という問いを
押し殺していないか。 -
「努力している」と人に見せることが、
いつのまにか目的になっていないか。
ブコウスキーが自分の墓に刻ませたのは、
そうした“努力教”への
かなり露骨なアンチテーゼだと
読むこともできます。
「努力」が輝かしい言葉として扱われる社会でこそ、
「Don’t try」という言葉は
逆に真っ直ぐに聞こえてくる。
これは、「怠けろ」というメッセージではありません。
むしろ、
「努力しています」と言う前に、
「それでもなお、やめられないかどうか」を
一度だけ自分に問え。
という、
かなりストイックな要求です。
5. 「やる/やらない」だけで考えてみる
では、この視点を
私たちの生活にどう活かせるでしょうか。
ひとつのヒントは、
“努力”という言葉を意識的に封印してみることです。
しばらくのあいだ、
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「努力する」
-
「頑張る」
-
「Tryしてみる」
といった言い回しを
自分の語彙から抜いて生活してみる。
その代わりに、
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「やる/やらない」
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「続ける/やめる」
-
「今日はこれだけやった/今日は何もしなかった」
という、
もっと素朴で、言い訳の効かない言葉に
置き換えてみる。
例えば、こうです。
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「英語の勉強、これからもっと努力します」
→「毎日15分だけ音読する/しない」 -
「創作活動を頑張って続けたい」
→「今週末、2時間だけ机に座る/座らない」 -
「いつかは絵で食べていけるよう、挑戦したい」
→「来月までに1枚だけ、全力の作品を仕上げる/仕上げない」
「努力する」「挑戦したい」と言っているうちは、
まだ“Try”の世界にいます。
そこから一歩抜けて、
**「結果として、自分は何をやってしまったのか」**だけを見る。
それは、ときに残酷です。
「何もやっていない自分」が
ありありと見えてしまうからです。
しかし同時に、
そこからしか始まらない何かもあります。
「努力している自分の物語」ではなく、
「実際にやってしまった自分の足跡」だけを
素手で触るところから、
本当の意味での“自分の人生”が
立ち上がってくる。
ブコウスキーが嫌ったのは、
まさにその手前で
「努力しています」と言って
引き返してしまうパターンなのかもしれません。
6. 「掴まず、抗わず」と “Don’t try” の交差点
この連載の副題である
「掴まず、抗わず、流れとともに」というフレーズと、
ブコウスキーの「Don’t try」は、
実は相性がよいところがあります。
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掴まず:
「努力している自分」「立派な自分」という
イメージにしがみつかない。 -
抗わず:
自分の中にある醜さ、怠惰、弱さを
完全に否定しようとして
戦い続けない。 -
流れとともに:
それでもなお、
「どうしてもやめられないもの」の流れに
身を任せてみる。
「Don’t try」は、
この三つのうち特に前半二つ──
-
「掴みすぎ」
-
「抗いすぎ」
を、一度ゆるめてみろ、という合図です。
ちゃんとした自分を演じる努力を
いったんやめてみる。
そうすると、その下から
「それでもまだ、どうしてもやりたいもの」が
うっすらと見えてくるかもしれない。
そして、その「どうしてもやりたいもの」は、
得てして外から見れば
立派でも、合理的でも、
人生の得にもならないように見えます。
しかし、そこにこそ
ブコウスキーが言うところの
「好きなものを見つけて、それに身を任せる」
という感覚が
潜んでいるのだと思います。
7. まとめ:努力をやめるのではなく、「努力ぶり」をやめてみる
ブコウスキーの「Don’t try」は、
決して、こう言っているわけではありません。
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「努力なんて意味がない」
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「好きなことだけして、あとは流されていればいい」
-
「何もせずにいても、いつか何とかなる」
むしろ逆です。
「努力しています」と口にする前に、
「それでもなお、やめられない何か」を
自分の中に見つけろ。
それが一つでも見つかったなら、
他人にどう見られようが、
それに身を任せてみろ。
これは、
“努力ぶり”をアピールすることをやめる
という意味での「Don’t try」です。
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人に認められるための努力
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成長している自分を演出するための努力
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「ちゃんと生きている感」を保つための努力
そうした「努力ぶり」を
一段、静かに下ろしてみる。
そのうえで、
「努力」というラベルを貼らなくても、
どうしてもやってしまうことは何か?
という問いを
自分に返してみるのです。