"掴まず、抗わず、流れとともに" 第62話
前回、第61話では、
チャールズ・ブコウスキーという「どうしようもない敗者」が、
なぜ私たちの胸を妙に打ってくるのかを見ました。
彼は立派な成功者でも、人格者でもありません。
アルコール依存、ギャンブル、女癖の悪さ、暴言。
そのどれを取っても、「反面教師」として紹介されるタイプです。
それでもなお、「DON’T TRY(努力するな)」という
彼の墓碑銘には、
現代の「がんばり疲れた心」を
ふっと緩める何かがあります。
今回は、そんなブコウスキーの人生の中でも、
特に象徴的な“二択”について考えてみます。
郵便局に残って気が狂うか、
ここを出て作家として遊んで餓死するか。
私は餓死することに決めた。
この少し芝居がかった一文は、
多くの人にとっては「どこか遠くの破滅型作家」の台詞にしか
聞こえないかもしれません。
しかし、日常のスケールまで引き伸ばしてみると、
ここには私たち一人ひとりが抱えている
「小さな郵便局」の話が潜んでいます。
1. 郵便局という、「安全な牢獄」
ブコウスキーは、長いあいだ
郵便局の仕分け係として働いていました。
-
朝起きる
-
職場へ行き、淡々と単純作業をこなす
-
給料が入り、
そのほとんどを酒と競馬につぎ込む -
夜は一人で酒を飲み、
時々タイプライターに向かって詩や物語を打つ
そんな日々が、
ほとんど何も変わらないまま
何十年も続きます。
ここには、
私たちの多くがどこかで知っている
感覚がにじんでいます。
「安定している。
生きてはいける。
ただし、心はどんどん潰れていく。」
ブコウスキーにとって郵便局は、
生活の安全を保証する場所であると同時に、
自分をじわじわと蝕んでいく場所でした。
・仕事としては退屈で、
そこに創造性も誇りもほとんど感じられない。
・かといって辞めてしまえば、
たちまち家賃も食費も払えなくなる。
私たちでいえば、こんな感覚です。
-
「この仕事は、自分を殺している気がする」
-
「でも、スキルもお金もないから、辞めるなんて無理だ」
-
「今さら人生をやり直すには遅すぎる」
頭では分かっています。
「このまま続けたら、いつか壊れるかもしれない」
しかし同時に、
現実的な計算も消えてくれません。
「どうせ他に行き先もない。
とりあえず今日も出社して、
あと1年だけ様子を見よう。」
ブコウスキーにとっての
「郵便局」は、
まさにそうした「安全な牢獄」でした。
2. ふたつともまともではない二択
そんな彼に、
ある日、小さな独立系出版社の編集者から
声がかかります。
「うちから本を出さないか。
原稿を書いてくれれば、
最低限の生活費は出す」
それに対してブコウスキーが返したのが、
あの一文です。
「選択肢は二つのうち一つだ。
郵便局に残って気が狂うか、
ここを出て作家として遊んで餓死するか。
私は餓死することに決めた。」
この二択を、
冷静に見れば見るほど分かるのは、
どちらもまともではないという事実です。
-
郵便局に残る:
毎日少しずつ心がすり減っていき、
いずれどこかで「壊れる」未来が見える。 -
出ていく:
安定収入を捨て、
売れる保証もない文章一本で食べていこうとする。
下手をすれば「本当に餓死」に近いところまで
行きかねない。
多くの人は、
こんな二択に追い込まれたと想像しただけで
背中が冷たくなるはずです。
おそらく、私たちの多くは
こんなふうに考えるでしょう。
「いやいや、そこまで極端なことをしなくても……
郵便局で働きながら、
少しずつ書き続ければいいじゃないか。」
それは、とても常識的で賢い意見です。
現代の私たちにも馴染む
「リスクを抑えた安定した選択」のように見えます。
しかしブコウスキーにとって、
すでにその中間地点は長い年月の中で
失われていたのだと思います。
-
日中の仕事の疲弊
-
夜のアルコール
-
堆積していく自己嫌悪
そのすべてが「少しずつ」
バランスを壊し続けた結果、
彼の内側には、こうした感覚が
生まれていたのかもしれません。
「ここに残るなら、
ゆっくり確実に狂っていく。
出ていけば、早く確実に詰む。」
つまり、
どちらにせよ詰んでいる、という自覚です。
だからこそ彼は、
「それならせめて、
自分がまだマシだと思えるほうで詰もう」と
決めたのかもしれません。
3. 私たちは、どちらを選ぶのか
では、私たちが同じ立場に置かれたとして、
どちらを選ぶでしょうか。
-
安全だが、ゆっくりと心が摩耗していく道か。
-
危険だが、自分の「やりたい」を正面から引き受ける道か。
多くの人は、
表向きの答えと心の中の答えが
微妙にズレているはずです。
表向きには、こう言うかもしれません。
「現実的には、安定を捨てるのはリスクが高すぎる」
「家族もいるし、ローンもある」
「まずは副業として試してからでもいい」
そしてそれは、確かに正しいのです。
ただ、内側のどこかで
こんな声がうっすらと聞こえているかもしれません。
「このまま何も変えないでいたら、
本当にもう戻れなくなる気がする」
「いつか、”あのとき別の選択ができたかもしれない”と
思い返し続けるのではないか」
ここで大事なのは、
ブコウスキーのように
実際に会社を辞めろと言いたいわけではない、
ということです。
人生の事情も、
持っているリスク許容量も、
人それぞれです。
ただ、
私たちは日常のあらゆる場面で
「小さな郵便局」を選び続けていないか――
この問いだけは残ります。
4. あなたの「小さな郵便局」はどこにあるか
ブコウスキーにとって、
郵便局は文字通りの職場でした。
しかし私たちには、
仕事以外にもたくさんの
「小さな郵便局」があります。
例えば──
-
本当はもう終わらせたいと感じている人間関係
-
何年も「やってみたい」と言い続けているのに
一歩も踏み出していない趣味や学び -
向いていないと分かっているのに、
「これが正解のキャリア」と自分を騙し続けている仕事 -
実は長く続けるほど心身を削っている生活習慣
どれも、
今日明日ですぐ命に関わるわけではありません。
だからこそ、ずっと先延ばしにできます。
-
「もう少し余裕ができたら考えよう」
-
「あと1年だけ続けてみよう」
-
「今やめたら、今までの努力が無駄になる」
そして、
気づいたらあっという間に
5年、10年が経ってしまう。
その間ずっと、
心のどこかでこうつぶやきながら。
「このまま郵便局で一生終わるのかな……」
ブコウスキーが見ていた
「郵便局に残れば狂う」という恐怖は、
極端な表現ではありますが、
私たちの中にも、
もっと弱い濃度で存在しているのではないでしょうか。
5. 「餓死するほうを選ぶ」と言えないからこそ、できること
おそらく、
この文章を読んでいるほとんどの人は、
ブコウスキーのような
「餓死することに決めた」という選び方は
できないと思います。
それは、弱さではありません。
むしろ、普通の感覚です。
-
守るべき家族がいる
-
支払いがある
-
自分のメンタルや体力を考えると、
一気に環境を壊すリスクは高すぎる
それらを真面目に考えることは、
とても大切なことです。
では、そんな私たちには
彼の話から何も学ぶものがないかといえば、
そうではありません。
ポイントは、
「郵便局に残る」か「餓死する」かという
極端な二択を真似することではなく、
自分の生活の中で、
“ほんの少しだけ郵便局から離れる”
選択を増やすこと
です。
例えば──
-
仕事のあと、疲れているけれど
15分だけ「自分の書きたいもの」を書いてみる。 -
週に1回だけ、
いつもと違う電車に乗って、
行ったことのないカフェでノートを開いてみる。 -
「いつかやりたい」と言い続けてきたことを、
小さくテストする日を、
1か月に1回だけ決めてみる。
これは、
会社を辞めるほどの大きなジャンプではありません。
しかし、
「自分の人生を、
郵便局以外の場所にも、
少しだけ広げておく」という意味では、
立派な一歩です。
6. 「狂わないための変更」をどこに入れるか
ブコウスキーは、
「郵便局に残れば狂う」と感じるところまで
追い込まれていました。
私たちは、
そこまで行かない段階で
小さな変更を入れることができます。
-
「もう少しこのままやれるけれど、
このまま続けたら、3年後の自分はどうなっているか?」 -
「今の自分にとっての“ゆっくり狂う”兆候は、
どこに出始めているか?」
こうした問いを、
たまにでいいので
自分に向けてみること。
そして、
一気に全てを変えようとせず、
「狂わないための変更」を
生活のどこか一箇所にだけ入れてみること。
たとえば──
-
仕事の内容は変えられなくても、
仕事の「意味づけ」を変えてみる。
(誰の何を助けている仕事なのかを書き出してみる) -
すぐには辞められない人間関係の中で、
自分の境界線を1ミリだけ厚くしてみる。 -
どうしても続けたい「好きなこと」だけは、
生活のどこかに死守する。
それらは、外から見れば
些細でくだらない調整に見えるかもしれません。
しかし、
長い時間軸で見れば、
そうした微小な偏差こそが
「郵便局に居続けて狂うか/
どこかで別の道を見つけ直すか」を
分けていきます。
7. 「今日を全部変えなくていい。1%だけずらせばいい」
ブコウスキーの
「餓死することに決めた」という言葉は、
あまりにも極端です。
真似する必要も、
真似すべきでもありません。
ただ、
あの一文の背景にある
「このままでは、
自分が自分でいられなくなる」
という感覚は、
私たちが小さな声として
日々どこかで感じているものと
地続きのものです。
だからこそ、
ブコウスキーの“狂気の決断”を
遠い伝説として眺めるだけでなく、
「今日の自分の生活の中で、
1%だけ郵便局から離れるとしたら、
何を変えるだろう?」
と問いかけてみることには意味があります。
-
生活の安定を全部壊す必要はない。
-
仕事をやめなくてもいい。
-
家族を捨てる必要もない。
ただ、
「このままだと、
ゆっくり確実に壊れていきそうだ」
と感じている何かがあるなら、
そこに対して
ほんの1%だけ、
“餓死するほう”に傾ける選択を
試してみる価値はあります。
-
1%だけ、自分に正直な選択を混ぜる。
-
1%だけ、損得勘定ではない行動を入れる。
-
1%だけ、「ちゃんとした自分」から外れたまま
いさせてあげる時間をつくる。
そうした小さな偏差が積み重なったとき、
ある瞬間ふと振り返ってみると、
あなたの人生は
最初に立っていた「郵便局」とは
別の風景の中に
立っているかもしれません。