"掴まず、抗わず、流れとともに" 第53話
生き残るための“そこそこ見えればいい世界”
前回は、
「時空そのものですら、現実の“インターフェース”かもしれない」
というところまで話を進めました。
今回は、そのインターフェースが
そもそも何のために設計されたのか、というテーマです。
結論から言えば、進化は私たちの感覚を、
「真実を正確に見る装置」としてではなく、
「とりあえず生き残るために、そこそこ役に立つ装置」
としてチューニングしてきた、という話になります。
1. 「進化=より真実に近づく」という直感
「進化」と聞くと、多くの人は
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動物が環境に適応していく
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私たち人間も、昔より賢くなっている
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だから、世界をより正しく理解できるようになっているはずだ
というイメージを持ちます。
つまり、
進化 = 「真実に近づいていくプロセス」
というイメージです。
これは、ごく自然な直感です。
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単純な目しか持っていない生き物より
-
高度な目を持った生き物のほうが
「世界をよく見ている」ように感じますし、 -
文字も数学も科学も手に入れた人間は
他の動物より、
「はるかに真実に近い世界を知っている」ように思えるからです。
しかし、ダーウィンの進化論が教えてくれるのは
少し違うストーリーです。
進化は、
「真実を見られるかどうか」
ではなく、
「どれだけ生き残って、子孫を残せたかどうか」
にしか興味がありません。
そこを一度、丁寧に見直してみます。
2. 進化が気にしているのは、「真実」ではなく「生存率」
ダーウィン的な意味での進化とは、
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たまたま生まれた変異(体質・感覚・行動)が
-
その環境で生き延びるのに有利だった場合
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その特徴を持つ個体がより多く子孫を残し
-
その特徴が種全体に広がっていく
というプロセスです。
このとき、「有利かどうか」を決めるのは、
「どれだけ長く生きて、どれだけ子どもを残せたか」
だけです。
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世界の真相について深い洞察を持っているか
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宇宙の構造を理解しているか
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物理法則を美しく説明できるか
といったことは、
進化の観点から見ると、関係がありません。
極端に言えば、
・真実には疎いけれど、
生存に必要なものだけ素早く見抜ける生き物・真実を精密に理解しようとするけれど、
行動が遅くなってしまう生き物
が競争したとき、
進化は前者に軍配を上げる、ということです。
3. 「真実を見る生物」と「適応だけ見る生物」を競わせると?
ある認知科学者たちは、この直感を確かめるために、
コンピュータの中でこんなシミュレーションを行いました。
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仮想世界の中に、「餌」と「危険」がある環境をつくる
-
そこに、いくつか種類の生物(エージェント)を放つ
生物A:
世界をできるだけ正確に測定しようとするタイプ。
「真実」を細かく見ようとする。
生物B:
「真実」がどうなっているかには興味がなく、
生き延びるために必要なシグナルだけを見るタイプ。
たとえば「赤なら危険」「青なら安全」くらいの単純な目。
この二つのタイプを、何世代にもわたって競わせたところ、
どうなったか。
直感的には、
「正確に見えるAのほうが有利なのでは?」
と思いたくなります。
しかし、シミュレーションの結果は逆でした。
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世界の真実を細かく見ようとした生物Aは、
エネルギーと時間を使いすぎて、
競争に負けてしまう。 -
必要な情報だけをざっくり見る生物Bのほうが、
すばやく行動でき、生き残りやすい。
つまり、
「真実タスク」にリソースを割きすぎると、
「生存タスク」で不利になる
というわけです。
このようなモデルは複数のバリエーションで研究されていて、
大雑把に言えば、
「進化は、“真実を見る生物”を
積極的には残さないらしい」
という結論が支持されています。
もちろん、
これはあくまでモデル上の話ではありますが、
進化の根本原理からは自然な結果です。
4. 「真実を見る」は、コスパが悪すぎる
ここで、もう少し日常語に落としてみます。
「真実を見る」ということは、
次のような態度を意味します。
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出来事の背景や文脈まで丁寧に調べる
-
一度の印象に飛びつかず、何度も確認する
-
自分のバイアスや勘違いも疑いにかける
これは、とても大事です。
学問も対話も、この態度なしには成立しません。
しかし、進化の立場から見れば、
そんなことに時間とエネルギーをかけている余裕はない
場面が多いのです。
自然環境のなかでは、
生き物は常に、
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餌を探し
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捕食者から逃げ
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子どもを守り
-
パートナーを見つけ
といった課題に追われています。
そこでは、
「厳密には間違っているけれど、
とりあえずの判断としては十分に正しい」
という“雑なルール”のほうが、
生存に役立つことが多いのです。
たとえば、
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「この匂いがしたら逃げろ」
-
「この形を見たら食べるな」
-
「このパターンの動きは危険」
という単純なルールで済むなら、
それで十分です。
いちいち、
-
これは本当に危険なのか?
-
どのくらいの確率で危険なのか?
-
危険の背後にはどんな複雑なメカニズムがあるのか?
などと考えているうちに、
捕まって食べられてしまいます。
5. 私たちの感覚も、「そこそこ見えればいい」ようにできている
ここまでの話を、人間に戻してみます。
人間の目や耳、皮膚の感覚は、
とても精巧で複雑です。
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色を細かく見分けられる
-
遠くの音と近くの音を区別できる
-
温度や痛みを感じられる
しかし、それでもやはり、
「この世界の真実をありのままに見せるため」
ではなく、
「生き延びて子孫を残すのに、
まあ必要十分な程度に世界を切り取るため」
に最適化されてきたと考えるのが妥当です。
具体的には、
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人間の目には見えない波長の光もたくさんある
-
聞こえない周波数の音も山ほどある
-
温度や圧力の変化を、もっと精密に感じ取る生き物もいる
それでも私たちは、
**“自分に聞こえる/見えるものだけ”**を、
「世界のすべて」のように感じてしまいます。
しかし実際には、
私たちの感覚が拾っているのは、
現実のごく一部だけを、
人間仕様に圧縮した“サンプル版”
なのだ、という見方ができます。
6. 「世界の0%しか知らない」という前提に立つ
こうした議論から、
ある認知科学者は次のような挑発的な主張をします。
「私たちは現実の0%しか知らない。
そして、科学理論も永遠に0%しか説明できないだろう。」
これは、誇張も含んだ言い方ですが、
伝えたいポイントは一つです。
「私たちの感覚と理論は、
いくら頑張っても“完全な真実そのもの”にはならない」
という前提を、一度受け入れてみること。
それは、「どうせ分からないからあきらめよう」
という投げやりな態度ではありません。
むしろ、
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自分の見方が絶対だと思い込む傲慢さ
-
「私はもう分かっている」と思う狭さ
から、そっと身を引くための前提です。
世界についても、他人についても、自分についても、
「私は今、ほとんど何も知らない」
という前提に立つ。
そのとき初めて、
知らなさを含んだまま向き合うためのスペースが生まれてきます。
7. これが「生きづらさ」とどう関係しているのか
ここまでの話を、生きづらさに結びつけてみます。
多くの場合、生きづらさは
「もっとちゃんと分かっていなければならない」
「正確に理解できていない自分はダメだ」
というプレッシャーとセットで現れます。
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自分の将来がどうなるか、
正確に予測できない自分を責める。 -
他人の気持ちを完全に理解できない自分を責める。
-
世界の不条理を納得いくまで説明できない自分を責める。
しかし、進化の視点から見れば、
そもそも私たちの感覚も頭脳も、
「真実を完全に理解するため」に
設計されてはいない
のです。
そうだとすると、
「自分には世界のほんの一部しか見えていない」
「それは“欠陥”ではなく、“仕様”かもしれない」
と受け止めることができます。
このとき初めて、
「分からなさ」を
すべて埋めるべき欠損ではなく、
ただそこにある前提として抱えたまま、
それでもできる行動を選ぶ
という態度が生まれてきます。
8. ささやかな実践:「100%分かろうとしない」と決めてみる
最後に、今日できる小さな練習をひとつ。
何かを理解しようとしてモヤモヤしているとき、
心の中でこう宣言してみてください。
「ここで100%分かる必要はない。
“今の自分に見える範囲の仮の理解”で、いったんよしとする。」
たとえば、
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職場の人間関係
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将来のキャリア
-
家族とのすれ違い
-
社会のニュース
どれも、一度にすべてを理解することはできません。
それでも、
「いま見えているのは、
巨大な現実のごく一部にすぎない」
という前提を置き直すだけで、
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自分を責めるトーンが少し弱まり
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他人の言動に「別の可能性」を見やすくなり
-
「とりあえず、この一歩だけでいいか」という選択がしやすくなります。
それは、
「真実をあきらめる」のではなく、
「真実を全部独り占めしようとする傲慢さを手放す」
という、ごく小さな姿勢の変化です。
進化が与えてくれた、「そこそこ見えればいい世界」。
その不完全さを前提にしながら、
それでも少しずつ、
自分なりの見方を深めていく。