"掴まず、抗わず、流れとともに" 第45話
同じ出来事なのに、人によってまったく違うストーリーになる。
誰もが一度は不思議に感じたことがあるはずです。
-
「あの場面を“最悪の一日”と覚えている自分」と
-
「“たいしたことなかった一日”として通り過ぎている相手」
どちらも嘘をついているわけではありません。
見ている「位置」が違うだけです。
前回までで見てきたように、私たちの内側では
-
「私」という中心
-
それを取り巻く物語エンジン
が、世界を整理しながら、ときに曇らせてもいました。
今回は、その物語に直接メスを入れるのではなく、
物語を生み出している「視点」そのものを、少しだけずらしてみる
という話をします。
1. 「同じ出来事」が、別の世界に見える瞬間
簡単な例から始めてみます。
あなたは、親しい友人に長文のメッセージを送りました。
しかし、半日たっても既読がつかない。
このとき、頭のなかで自動的に立ち上がってくる物語は、たとえばこんなものかもしれません。
-
「やっぱり重かったかな」
-
「迷惑だったのかもしれない」
-
「嫌われたのかも……」
ここで働いているのは、
「私の不安」から世界を見る視点です。
この視点から組み上がる物語は、たいていこうなります。
「私はまた、やらかした」
「人との距離感がうまく取れない自分はダメだ」
ところが、少し想像力を使って、
視点を「相手側」に寄せてみると、
まったく別のストーリーが見えてきます。
-
仕事でトラブルが起きて、スマホを見る余裕がない
-
体調を崩して寝込んでいる
-
きちんと返したくて、落ち着いてから返信しようと温めている
どれも、あり得ない話ではありません。
同じ「未読」の事実からでも、
-
「私視点」からの物語と
-
「相手視点」からの物語
は、まったく違う世界を描き始めます。
そしてさらに、
もう一段だけ引いた視点──
「関係」や「状況」そのものを見る視点に立つと、
こんな見え方も可能になります。
「私たちの関係は、即レスを前提としないタイプかもしれない」
「文字だけでやり取りする難しさが、ここで顔を出しているのかもしれない」
ここまで来ると、
-
「誰が悪いか」
-
「自分がダメかどうか」
といった問いから離れて、
もう少し構造的に世界を見ることができます。
2. 固定された視点が、「生きづらさ」を濃くする
前回、「物語は世界を整理するが、同時に曇らせる」と書きました。
この「曇り」が濃くなるとき、裏側では必ずと言っていいほど
視点が一箇所に貼りついてしまっている
という現象が起きています。
たとえば、
-
いつでも「自分の欠点探し」の視点からしか自分を見られない
-
いつでも「相手のダメなところ探し」の視点で世界を見てしまう
-
いつでも「社会全体のダメさ」だけに焦点が当たっている
こうして視点が固定されてしまうと、
-
同じ出来事のなかに含まれている
別種のニュアンスや可能性が、見えなくなる -
自分の動き方を変えるための余地も、
ほとんど感じ取れなくなる
結果として、
「世界はこういう場所で、私はこういう人間だ」
という物語だけが強くなり、
「変えられるところ」と「変えられないところ」の区別が、どんどん曖昧になっていきます。
3. 三つの視点レイヤーで見直してみる
そこで、ここではあえて視点を
大きく三つのレイヤーに分けてみます。
-
「私の感情」視点
-
「相手(他者)の事情」視点
-
「関係・構造」視点
順番に見ていきます。
① 「私の感情」視点
まず大事なのは、「私の感情」の側から世界を見る視点です。
-
あの言葉を聞いて、私はどう感じたか
-
私の身体はどう反応していたか
-
どんな不安や怒り、悲しみが生まれていたか
これは決して、軽んじていいものではありません。
むしろ、ここを飛ばすと「本当は傷ついているのに、わかったふりをする」ことになりかねません。
② 「相手の事情」視点
次のレイヤーは、「相手の事情」の側から見る視点です。
-
相手はどんな一日を過ごしていた可能性があるか
-
どんな立場やプレッシャーのなかにいたか
-
その言動には、どんな意図や不器用さが混ざっていたか
ここでは、「相手を免罪するため」ではなく、
「自分の物語だけで世界を塗りつぶしていないか」を確かめる
くらいのつもりで眺めてみるのがポイントです。
③ 「関係・構造」視点
最後は、「関係」や「構造」そのものを見る視点です。
-
そもそも、私たちの関係はどういう前提で始まっているか
-
その場のルールや文化は、どんな行動を取りやすく/取りにくくしているか
-
個人の性格というより「仕組み」や「役割」が生み出しているパターンはないか
ここまで来ると、
「誰が悪いか」を決めるゲームから少し離れて、
「この関係や状況を、どうデザインし直せるか」
という問いが立ち上がってきます。
4. 視点をずらす「小さな実験」二つの例
では、実際の場面でどう活かせるか。
ここでは、二つのシーンを使って「視点のずらし方」を具体的に眺めてみます。
ケース1:会議で意見を否定されたとき
あなたが会議で提案をしました。
しかし上司にこう言われたとします。
「それは現実的じゃないね」
このとき、よく立ち上がる「私視点」の物語は、
-
「またセンスがないと思われた」
-
「自分はやっぱり役に立てない」
といったものかもしれません。
ここから一歩だけ視点をずらしてみます。
相手視点から見てみると
-
上司は上司で、上からのプレッシャーと数字に追われている
-
「失敗したときに責任を問われるのは自分」という感覚が強い
-
だから、少しでもリスクがありそうな案に反射的にブレーキをかけてしまう
というストーリーも成り立ちます。
さらに、関係・構造視点から見ると
-
そもそもこの会議は、「新しいアイデアを出す場」ではなく
「既に決まった方針を確認する場」になっている -
その構造のなかで、あなた一人が「提案の質」だけで勝負しようとしている
という見え方も出てきます。
ここまで来ると、
-
「自分の価値が否定された」という物語だけでなく
-
「場の設計や、アイデアの出し方のルールを変えない限り、同じことが起き続ける」
という、別の解釈も見えてきます。
ケース2:家族からの何気ない一言に傷ついたとき
家族から、
「おまえは本当にマイペースだな」
と言われて、心に刺さったとします。
私の感情視点では
-
「わがままだと言われた気がした」
-
「配慮が足りない人間だと決めつけられた感覚がある」
-
「昔から何度も似たことを言われてきているので、積み重なった痛みがある」
これはこれで、きちんと認める必要があります。
次に、相手の事情視点から見ると
-
家族側には「自分のペースを乱されることへの恐怖」がある
-
過去の経験から、「予定外」を極端に嫌うクセがついている
-
あなたのマイペースさが、本当は少しうらやましくもある
といった可能性が見えてくるかもしれません。
そして、関係・構造視点では
-
家族間のコミュニケーションが、
「具体的なお願い」ではなく「性格ラベル」で語られがちである -
その文化が、「話し合って調整する」前に
お互いを固定したイメージに押し込めてしまっている
という構造も浮かび上がってきます。
そうすると、ただ
「自分はマイペースなダメな人間だ」
と結論づける代わりに、
「性格ラベルではなく、具体的なお願いを言い合う練習が必要かもしれない」
という方向性も見えてきます。
5. 視点を変えることは、「自分を否定する」ことではない
ここで大事なポイントをひとつだけ強調しておきます。
視点をずらすことは、
「自分の感情は間違っている」と言い聞かせることではない
ということです。
-
「相手にも事情がある」と考えようとして、
本当は傷ついている自分を押し込めてしまう。 -
「構造的な問題だ」と理解したつもりで、
自分の小さな悲しみを見ないようにする。
これでは、せっかく視点を増やそうとしているのに、
また別の形で自分を消してしまうことになります。
順番としては、
-
まず「私の感情」の視点をきちんと通す
-
そのうえで、「相手」や「関係・構造」の視点を“追加で”重ねてみる
この「追加で」が、とても重要です。
視点は、
どれかひとつに乗り換えるものではなく、
レイヤーとして重ね持てるようになること
が目的です。
6. 日常でできる「視点ずらし」の練習
最後に、日々のなかで試せる
小さな練習をいくつか挙げておきます。
練習1:三人称で日記を書く
その日の出来事を、一度は普通に「私」で書きます。
「今日は上司にこう言われて、すごく落ち込んだ」
と書いたあと、
同じ出来事を、今度は三人称で書き直してみます。
「彼(彼女)は、上司にこう言われて、すごく落ち込んでいた」
このとき、できれば
-
上司側から見た一文
-
第三者から眺めた一文
も足してみます。
「上司の側には、納期のプレッシャーが強くかかっていた」
「第三者から見ると、二人ともかなり疲れていたように見える」
それだけで、ひとつの出来事に対して
複数のカメラが回り始めます。
練習2:「いま、どの視点で見ているか」を心のなかでラベル付けする
何か強い感情が立ち上がったとき、
心のなかでそっと、
-
「これは“私の感情視点”だ」
-
「いま“相手の事情視点”に寄りすぎているかもしれない」
とラベル付けしてみます。
それだけで、
視点と自分とが完全に同一化している状態
から、わずかに距離が生まれます。
練習3:会話のあとに「別バージョンの物語」を一本だけ書いてみる
気になった会話があった日に、
-
「自分の頭のなかで再生している物語」とは違うバージョンを
-
たった一本だけ、ノートに書いてみる
ことを習慣にしてみてもいいかもしれません。
「真実」を探すのではなく、
「世界には、こんな見え方もあり得る」というカタログを、少しずつ増やしていく
イメージです。
7. 視点が増えると、「世界の厚み」が戻ってくる
第41〜45話で見てきたのは、
-
「私」という中心がどのように立ち上がるのか
-
物語が世界を整理しつつ、どのように曇らせてしまうのか
-
その物語を生み出している「視点」をどう扱うか
という流れでした。
人生のある時期に、
世界はとても平板に見えてしまうことがあります。
-
「自分はこういう人間だ」
-
「あの人はこういう人だ」
-
「世界はどうせこうだ」
といった、強くて硬い物語だけが前面に出てくると、
そこから一歩も動けないような気がしてしまう。
けれど本当は、
出来事そのものよりも先に、
「どの視点から見ているか」
「どんな主語で語っているか」
が、世界の輪郭を決めていました。
視点をひとつ増やすたびに、
-
同じ出来事のなかに別の意味が混ざり込んでいること
-
「変えられないもの」と「変えられるもの」の境界が、思っていたよりも動くこと
が少しずつ見えてきます。
「視点をずらす」とは、
自分を無理にポジティブにだまし込むことではなく、
世界の厚みを、もう一度取り戻していく動き
だと言えるかもしれません。
その厚みのなかで、
「私」という中心もまた、
ひとつの固定された答えではなく、
-
状況に応じて調整できる座標
-
関係のなかで編み直せる物語の一形態
として、少しずつ扱い直していくことができます。
ここから先は、
この視点の柔らかさを、
どう日々の選択や生き方そのものに落とし込んでいくか
別の角度から、また続きを考えていきます。