"掴まず、抗わず、流れとともに" 第44話
前回は、「私」という中心がどのように立ち上がるのかを見ました。
-
言葉のなかにできた「私」という空欄
-
そこに集まってくる注意
-
それらをつなぎあわせる物語エンジン
この三つが重なったところに、「私」という感触が生まれてくる、という話でした。
今回は、そのなかでもとくに
「物語」という機能そのものの光と影を扱います。
なぜなら、「生きづらさ」のかなりの部分は
物語が世界を整理してくれているおかげで助かっている
その同じ物語が、世界を歪んで見せることで自分を追い詰めている
という、両刃の状態から生まれているからです。
1. 物語は、世界の「圧縮アルゴリズム」
私たちは、圧倒的な情報量のなかを生きています。
-
毎日のニュース
-
SNSのタイムライン
-
職場や家庭で起きる出来事
-
自分の内側で起きている感情や思考の変化
そのすべてを、細部まで丁寧に扱うことはできません。
そこで登場するのが、「物語」です。
物語は、世界を次のように整理してくれます。
-
選ぶ
-
何を「重要」とみなし、何を背景に追いやるかを決める。
-
-
つなぐ
-
ばらばらの出来事に「原因と結果」「前後関係」といった線を引く。
-
-
意味づける
-
「これは失敗だった」「これは成長だった」といったラベルを貼る。
-
こうして、物語は膨大な現実を
「理解できそうなサイズ」まで圧縮するアルゴリズムとして働きます。
この圧縮があるからこそ、私たちは
-
自分の人生をざっくり振り返ることができる
-
他人に「自分のこと」を説明できる
-
これからどう動くか、大まかな方針を立てられる
といった「実用的なメリット」を得ています。
物語そのものを否定する必要はありません。
むしろ、それがなければ、世界はあまりに「ただの雑音」に近づいてしまうでしょう。
2. しかし、圧縮は必ず「削る」
ただし、どんな圧縮アルゴリズムにも「代償」があるように、
物語による整理にも必ず「削り落とされるもの」が生まれます。
具体的には、次のようなものが削られます。
-
その場にあった細かなニュアンス
-
相手の表情の揺らぎ
-
自分の身体の小さな違和感
-
そのときの空気の微妙な変化
-
-
別の解釈の可能性
-
「あれは失礼だった」にも、
実は「相手が疲れていただけ」という説明がありえたかもしれない。
-
-
言葉にならない曖昧さ
-
「好きか嫌いか」「成功か失敗か」で割り切れない感触のすべて。
-
物語にするとき、私たちは無意識のうちに
「線で結びやすいもの」だけを残し、
「線に乗らないもの」を背景へ押しやる
という選択をしています。
その結果、
「あのとき、私は完全に間違っていた」
「あの人は最初からずっと冷たかった」
という、単純で強いストーリーのほうが、
本来の複雑で曖昧な現実よりも、説得力を持ってしまうのです。
3. 物語は「後から原因」をつくる
物語のもうひとつの特徴は、
**「後から原因をつくる」**ところにあります。
たとえば、こんなふうに考えたことはないでしょうか。
-
「あのときああ言ってしまったから、今こうなっている」
-
「子どもの頃のあの経験が、今の性格のすべてを決めている」
-
「あの出会いさえ無ければ、こんな苦しみは無かった」
たしかに、過去の出来事が今に影響していることはあります。
けれど、私たちがやりがちなパターンは、
すでに存在している「今の気分」や「今の状況」に合うような形で、
過去を“編み直して”しまう
ということです。
-
今、自分に自信がない →
過去から「否定された記憶」を選んでつなぎ、「だから自信がない」と語る。 -
今、誰かを憎んでいる →
相手の「悪かった部分」を中心にエピソードを集め、「最初からこういう人だった」と語る。
ここで起きているのは、
歴史的な検証ではなく、「今の物語に合う素材集め」です。
つまり、
-
まず「今の物語」が決まっていて
-
それを支えるために、原因らしきものを過去から拾い集める
という順番になっていることが多い。
このプロセスに気づかないままだと、
「過去が、今の私をこういうふうに決めつけてしまっている」
という感覚だけが強まり、
自分で物語を編んでいるはずなのに、
物語に支配されているような感覚に陥ります。
4. 三つの「曇りやすい物語」パターン
では、具体的にどんな物語が、世界を曇らせやすいのか。
ここでは代表的に三つだけ挙げてみます。
パターンA:自己攻撃型の物語
-
「どうせ自分はうまくいかない」
-
「最後には必ず失敗する」
-
「人をがっかりさせるのが自分の役割だ」
このタイプの物語エンジンは、
-
うまくいった出来事 → 「たまたま」「運が良かっただけ」
-
うまくいかなかった出来事 → 「やはり自分はダメだ」という証拠
というふうに、同じ現実を一方的に分類していきます。
世界そのものが残酷なのではなく、
「世界を見るフィルター」が残酷な仕様になっているイメージです。
パターンB:自己正当化型の物語
-
「自分は被害者だ」
-
「自分の苦しみは全部、誰か(社会)のせいだ」
-
「自分は何も間違っていない」
一見、「自分を守っている」ように見える物語ですが、
これもまた視野を極端に狭めます。
-
自分の側の未熟さや、学べるポイントを見なくなる
-
相手もまた別の物語を生きている、という想像力が働かなくなる
結果として、
短期的には「楽」でも、長期的には関係が行き詰まり、
より孤立感が強まることも少なくありません。
パターンC:世界幻滅型の物語
-
「この世界には希望なんてない」
-
「人間なんて、結局みんなこうだ」
-
「努力しても無駄な世界だ」
ここまで行くと、「私」という単位を超えて、
世界全体をひとつの冷たい物語で塗りつぶすようになります。
たしかに、そう言いたくなるような出来事は現実に存在します。
けれど、その物語が強くなりすぎると、
-
目の前にある小さな優しさ
-
部分的にでも改善されている領域
-
自分が動けば変わる余地
といったものが、一切視界に入らなくなってしまいます。
5. 問題は「物語の有無」ではなく、「物語との距離」
ここまで読むと、
「じゃあ、物語は全部やめたほうがいいのか?」
と感じるかもしれません。
しかし、現実的には、
-
仕事の経歴をまとめる
-
自分の価値観を言語化する
-
誰かと分かちあうために、自分の経験を語る
といった場面で、物語はやはり必要です。
問題なのは、「物語があること」そのものではなく、
物語と自分との距離感がゼロになってしまうこと
です。
距離がゼロになると、
-
「これは私が選んだひとつの物語にすぎない」
という視点を失う -
「別の物語の切り取り方もありえる」
という想像が働かない
状態になります。
反対に、少し距離をとることができれば、
-
「今の自分は、こういう物語で自分を見ているな」
-
「この物語は、一部を強調しすぎていないか」
-
「別の編集をしたら、どんなバージョンになるだろう」
といった問いを差し挟む余地が生まれます。
6. 物語との距離をとるための、ささやかな練習
ここで、物語との距離を少しだけ広げるための
ごくシンプルな練習を二つだけ挙げておきます。
練習1:「まだ、そうとは限らない」を足す
頭のなかで、
「やっぱり自分はダメだ」
「あの人は最悪だ」
「もう希望なんてない」
といったフレーズが浮かんだとき、
そのあとに必ず
「……まだ、そうとは限らない」
と、心のなかで小さく付け足してみます。
たったこれだけでも、
-
「結論」だと思っていたものが、
-
「いまの物語の一バージョン」に過ぎない
という感覚が、ほんの少しだけ顔を出しはじめます。
練習2:同じ出来事について「別バージョン」を3つ書く
ノートやメモに、最近ひっかかっている出来事をひとつ選び、
-
今、頭にある「いつもの物語バージョン」で書いてみる
-
もし自分にもっと優しい友人が語るなら、どう語るか
-
もし相手側(登場人物の誰か)の視点から語るなら、どう語るか
というふうに、最低3バージョンを書いてみます。
ここで大事なのは、「どれが真実か」を決めることではありません。
むしろ、
「同じ現実から、これだけ違う物語が成り立ってしまう」
という事実を、自分の目で確かめることです。
この経験そのものが、
物語と自分のあいだに、わずかながら「隙間」をつくりはじめます。
7. 次回:「主語」と「視点」を入れ替える
今回見てきたように、
-
物語は世界を整理してくれる
-
しかし同時に、選択と削り落としによって世界を曇らせもする
-
生きづらさの多くは、「曇らせる物語」が強く固定されることで生まれる
という構造があります。
ここから先のテーマは、次のような問いになります。
「どの主語で語るのか」
「どの視点から語るのか」
同じ出来事でも、
-
「私」を主語にするのか
-
「関係」を主語にするのか
-
「状況」や「構造」を主語にするのか
によって、物語はまったく違う顔を持ちはじめます。