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「人生なんてくれてやれ」

"掴まず、抗わず、流れとともに"  第2話


🎤 現代の声から

ある漫画作品に、こんな強烈なセリフが登場します。

たかが小さな細胞の集まりひとり、人生なんてくれてやれ」
目を逸らすな 君がやりたいことは何だ?

この言葉を書いた漫画家・魚豊さんは、インタビューでこう語っています。

「高校生の頃から死ぬのがすごく怖かった。どうせ死ぬなら、生まれてよかったと思えるようになりたい。『どうせ死ぬ』という言葉は絶望でもあり希望でもある。だから、棒に振ってもいい。エンディングが全員平等なら好きに生きればいいじゃん、というニュアンスで書いた。」


🌑 「どうせ」の二重性

この証言には、私たちが抱える根本的な不安が凝縮されています。

  • 絶望としてのどうせ
    どうせ死ぬ。努力も、成功も、最後にはすべて消えてしまう。

  • 希望としてのどうせ
    どうせ死ぬ。ならば、失敗を恐れず、自由に生きてもいい。

同じ「どうせ」が、地獄にも楽園にも変わる。
この二重性を引き受けることが、「くれてやれ」の態度なのです。


🌊 掴まずに手放すということ

「人生なんてくれてやれ」という言葉は、投げやりではありません。
それは、人生を所有物として必死に握りしめることをやめる、という解放の姿勢です。

  • 掴もうとしないから、不安に縛られない。

  • 失ってもいいと思えるから、今この瞬間を生き切れる。

  • 棒に振ってもいいと思えるから、逆に生は軽やかになる。

手放すことが、かえって生を肯定する力になる。


🌱 流れとともに生きる

シリーズのテーマに重ねるなら、この態度はまさに 「掴まず、抗わず、流れとともに」 です。
必死に握りしめるかわりに、流れに任せて漂う。
すると、人生は苦行の場から遊びの場へと少しずつ姿を変えます。


🪶 結びに

「どうせ死ぬから、意味がない」と考えるのではなく、
「どうせ死ぬから、自由にできる」と考える。

この転換の中に、硬直を超えて流れに入るための最初の扉があります。