"生きづらさ" - その生の残響構造を探る 第34話
⚖️ 「命を救う」という正義
医療は伝統的に「命を救うこと」を第一の使命としてきました。
事故や病気に遭った人を治療し、命をつなぐこと。
それは疑いなく「正義」とされてきた営みです。
しかし、終末期においては、この正義は揺らぎます。
「延命こそ善」とは限らない場面があるからです。
🧩 延命治療という問い
近代医療は、人工呼吸器や点滴、心臓マッサージなどによって、
人の命を長く保つことが可能になりました。
けれどもそれは同時に、問いを生み出します。
-
苦痛に満ちた延命は、本人にとって本当に幸福なのか?
-
「生き続けること」と「生きていると感じられること」は同じか?
-
家族や医療者の「続けてほしい」という思いは、本人の意思を越えていないか?
延命治療は「命をつなぐ」という善を、
「苦痛を長引かせる」という悪に変えてしまうこともあるのです。
🌑 安楽死・尊厳死をめぐる葛藤
世界では、安楽死や尊厳死を合法化する国も増えています。
日本では法制度としては認められていませんが、
延命を中止する「尊厳死」に近い判断は、現場で静かに行われています。
-
自己決定権:自分の最期は自分で決めたい
-
生命の神聖さ:人為的に死を選ぶことは許されない
この二つの価値観は根源的に衝突し、
社会を二分する深刻な問いを投げかけています。
🧭 医療の「正義」とは何か?
終末期医療において、正義とは単純に「命を救うこと」ではありません。
-
本人の意思を尊重すること
-
苦痛を最小限に抑えること
-
家族や社会の思いと調和させること
これらが複雑に絡み合い、医療者はその都度、揺れ動く決断を迫られます。
「唯一の正解」は存在せず、正義は状況に応じて再定義されなければならないのです。
🌱 介入から「共にいる」へ
終末期の医療を考えるとき、
私たちは「介入して治す」医療から、
「共にいて支える」医療へと発想を変える必要があります。
-
治療よりも、痛みを和らげる
-
延命よりも、穏やかな時間を保つ
-
技術よりも、そばにいることを重視する
正義とは、命を引き延ばすことではなく、
その人が「最後まで人として生きられる時間」を守ることなのです。
🪶 結びに
医療の正義は、命を救うことから始まりました。
しかし終末期においては、命を延ばすことと人を救うことが、
必ずしも一致しない現実に直面します。
だからこそ問われるのは、
「その人にとっての善とは何か」という一人ひとりの答えです。
医療は正義を押しつけるのではなく、
その答えを共に探す営みであるべきなのです。