生きづらさ" - その生の残響構造を探る 第15話
⚔️ 生と死を美で貫こうとした作家
三島由紀夫は、戦後日本を代表する作家の一人でありながら、文学だけでなく「生き方」そのものを舞台にしました。
彼は小説を書くだけでなく、自らの身体を鍛え、最後には壮絶な自決という形で生涯を閉じました。
その生は、まさに「美と死にどう向き合うか」という問いに貫かれていたのです。
📖 作品に映る美と死
三島の小説には、しばしば「肉体の美しさ」と「死の必然性」が並置されます。
三島にとって、美はただの美的対象ではなく、死と切り離せないものでした。
🧩 死への一貫した姿勢
三島は「死」を避けるものではなく、むしろ「死と共にある生」を生きようとしました。
肉体を鍛え、政治的行動にまで踏み出したのも、
美を追い求める姿勢と死への志向が結びついていたからです。
彼にとって「死」は敗北ではなく、生を貫徹するための究極の選択だったのでしょう。
⚖️ 太宰との対照
太宰治が「よりどころを欠いた生」に翻弄され続けたのに対し、
三島は「死を引き受ける姿勢」を貫くことで、むしろ生の意味を形作ろうとしました。
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太宰:態度を持てずに崩れていく
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三島:死への態度を徹底することで自らを築く
この対照は、同じ「生きづらさ」に直面しながらも、
それをどう引き受けるかの違いを鮮烈に示しています。
🌱 現代における三島の問い
もちろん、三島の選んだ死は賛否を呼び続けています。
しかし私たちが注目すべきは、死そのものではなく、「美と死にどう向き合うか」という姿勢の徹底です。
現代の私たちにとっても:
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美しくありたいという欲求
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死を恐れながらも意識せざるを得ない現実
この二つは切り離せないテーマです。
三島の極端な生き方は、その矛盾をあらわにした一つの回答でした。
🪶 結びに
三島由紀夫が示したのは、「死を恐れずに美を生きる」という姿勢でした。
それは多くの人にとって理解しがたい極端さを帯びているかもしれません。
しかし、三島が自らを賭けて問おうとしたのは、
「私たちは死をどう引き受け、美しく生きることができるのか」という普遍的なテーマだったのです。
📌 次回予告
第16話では、「芥川龍之介と『生きていても仕方がない』感」を取り上げます。
近代作家が直面した虚無と焦燥を通して、現代の生きづらさに迫ります。