生きづらさ" - その生の残響構造を探る 第14話
🌑 生きる態度を見出せない
太宰治の文学は、その生涯と切り離せません。
彼は繰り返し自殺未遂をし、最後には玉川上水で入水自殺を遂げました。
その軌跡は、常に「生きるための態度」を見失った人間の姿として映ります。
宮沢賢治が「死の先に救済や愛を見よう」としたのに対し、
太宰は「生の中に救いがない」という事実から逃れられませんでした。
📖 『人間失格』に映る断絶
太宰の代表作『人間失格』の主人公・葉蔵は、
「人間の生活というものが、どうしても理解できない」と告白します。
-
笑顔は道化のように作り物
-
他者との関係は恐怖と猜疑に満ちている
-
生きていることそのものが「失格」である
葉蔵は「生きる立ち位置」を見つけられません。
社会に適応する態度も、
個人としての一貫した生き方も持てないのです。
⚖️ 太宰の「弱さ」とその魅力
太宰の文学は「弱さ」の文学です。
強く生きることを説くのではなく、
「強くなれなかった人間」の声を徹底して書き続けました。
-
酒や薬に溺れる
-
女性に依存する
-
絶望から逃れるために、また絶望に落ちる
その姿は滑稽であり、痛々しくもあります。
しかし同時に、私たちはその弱さに共感し、
「人間の不完全さ」を正直に描いた点に救われもするのです。
🧩 「よりどころを欠いた生」と現代人
現代社会においても、多くの人が「生きる態度」を持てずに苦しんでいます。
-
働く意味がわからない
-
人間関係の中で素顔を見せられない
-
SNSで笑顔を演じながら、心は空っぽ
太宰が描いた「よりどころを欠いた生」は、
そのまま現代人の姿に重なります。
「何者かであること」を迫られる社会において、
「何者にもなれない私」という絶望は、今も消えていません。
🪶 結びに
太宰治は、最後まで「生きる方向を見失ったままの生」を抱え続け、
その行き着く先として死を選びました。
しかし、彼の作品は今も読み継がれています。
それは、太宰が示した「弱さ」が、
私たちにとっての真実でもあるからです。
「態度を定められないまま生きること」もまた、
人間のあり方のひとつなのだと、
太宰の文学は静かに語りかけているのです。
📌 次回予告
第15話では、「三島由紀夫の『美と死への姿勢』」を取り上げます。
太宰の「よりどころを欠いた生」と対照的に、
三島が追い求めた「美と死への立ち向かい方」を考察していきます。