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自己とは「固定」ではなく「運動」である

生きづらさ" - その生の残響構造を探る 第7話


🌊 固定された「私」という幻想

私たちは、普段「自分」というものを
ひとつの安定した存在として信じています。

「私は私である」
「昨日の私と今日の私は同じ」
「過去から未来まで、同じ人間が連続している」

しかし、本当にそうなのでしょうか。

少し立ち止まって考えると、
「自分」というものは意外なほど不確かで、
むしろ常に揺れ動き、変化し続けているのです。


🔄 変わり続ける私

人は一日の中でも、無数に変わります。

  • 誰かと笑っているときの自分

  • 一人で不安に沈むときの自分

  • 仕事に集中しているときの自分

  • 家族と過ごしているときの自分

これらをすべて「同じ自分」と呼べるのは、
実は「記憶」や「物語」がつなぎ合わせているからです。
本質的には、私という存在は常に「運動」している

言い換えれば、私たちは「変化し続けるプロセス」そのものなのです。


🧩 固定化の罠

ところが社会は、しばしば「固定された自己」を前提に動いています。

  • 職業や役割で人を定義する

  • 性格や特性をラベルで固定する

  • 一度の失敗を「その人の本質」と見なしてしまう

こうした「固定化の視線」は、
変化し続ける存在としての人間を押しつぶし、
「私はこうでなければならない」という
窮屈な枠組みを生み出します。

その枠組みこそが、生きづらさの一因となるのです。


🌱 自己を「運動」として捉える

もし「自己とは固定ではなく運動だ」と捉えられたら、
私たちの生き方はもっと柔らかくなるかもしれません。

  • 昨日できなかったことが、今日できるようになる

  • 今は苦しくても、未来には別の可能性が開ける

  • 変化し続けるからこそ、成長や癒しがあり得る

「変わってはいけない」のではなく、
「変わり続けていい」。
そう思えたとき、人は少しだけ自由になれるのです。


🪶 結びに

「私」とは、固定された一点ではなく、
常に流れ続けるプロセスであり運動です。

だからこそ
今の自分に行き詰まりを感じても、
それは「終わり」ではなく「通過点」にすぎません。

変化そのものを恐れずに、
「動き続ける私」を信じてみる。
その視点が、生きづらさを和らげる
ひとつの鍵になるのではないでしょうか。


📌 次回予告
第8話では、「なぜ私たちは『構造』にハマるのか?」をテーマに、
人間が枠組みやパターンを求めてしまう心理と、
そこに潜む罠を考えていきます。