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経済学が示す「幸福論」- お金と効用の奇妙な関係

幸福とは何か? - 私たちの問いの始まり 第5回

前回は心理学の視点から、幸福が心のスキルであるという希望に満ちた結論にたどり着きました。しかし、私たちの幸福は、お金という外部の要素と切り離して語ることはできません。

今回、私たちは羅針盤経済学に向けます。経済学は、幸福を「効用(Utility)」という言葉で捉えます。効用とは、消費や選択を通して得られる満足感や喜びのことです。

「お金が増えれば、より多くのものが買え、より多くの満足が得られる。つまり、お金は幸福を増やしてくれる」―この単純な論理は、私たちの社会の基盤となっています。しかし、経済学が示す「幸福論」は、この考え方がいかに奇妙で、複雑であるかを浮き彫りにします。


「幸福」が頭打ちになるパラドックス

私たちの多くは、年収が上がれば、より幸せになれると信じています。実際、貧しい国では、所得が増えるほど幸福度も高まるという相関関係が明確に示されています。

しかし、ある地点を超えると、この関係は崩れ始めます。

これが、経済学者リチャード・イースタリンが提唱したイースタリンの逆説」です。

彼は、裕福な国では、国民の平均所得が増加しても、国民全体の幸福度はそれほど上がらないことを発見しました。例えば、日本は高度経済成長期に所得が飛躍的に伸びましたが、国民の幸福度は横ばいか、むしろ減少傾向にありました。

この逆説が示すのは、お金がもたらす幸福には明確な限界があるということです。私たちの幸福感は、絶対的な所得の量よりも、むしろ相対的な位置、つまり周囲の人々と比べて自分がどれだけ豊かであるかによって決まってしまう傾向があるのです。


欲望のラットレースと「お金」がもたらす孤独

なぜ、私たちはより多くの収入を求めてしまうのでしょうか?それは、お金が物質的な満足だけでなく、社会的な地位や承認をもたらすと信じているからです。

しかし、それは終わりのないラットレースです。より多くのモノを手に入れても、私たちはすぐにそれに慣れてしまいます。そして、また次の「より良い」何かを求めて走り出すのです。これを経済学では「享楽への順応(Hedonic Adaptation)」と呼びます。

さらに、経済的な成功を追求するあまり、私たちは家族との時間や友人との絆といった、心理学や社会学が幸福の鍵だと指摘する要素を犠牲にしがちです。お金は私たちに物質的な豊かさをもたらす一方で、本当に大切な人間関係や心のつながりを遠ざけ、孤独を生む可能性があるのです。


結論:お金は「幸福」のすべてではない

経済学が示す「幸福論」は、お金が私たちに幸福をもたらすことは認めつつも、その力が限定的であることを厳しく指摘します。

お金は、衣食住を満たす上では欠かせないツールです。しかし、それ自体が幸福の目的となってしまうと、私たちは終わりのない欲望の渦に巻き込まれ、本当に大切なものを見失ってしまいます。

この視点は、私たちが幸福を考える上で、お金との健全な付き合い方を見つけることの重要性を教えてくれます。

次回は、視点をガラリと変え、生物学と脳科学が示す「幸福論」に迫ります。幸福は、お金でも、社会的な地位でもなく、ただの脳内物質にすぎないのでしょうか?