0.1 思想工学の定義
思想工学(Shisō Kōgaku / Thought Engineering)とは、思想を抽象的思索の対象にとどめず、構造的に設計可能なものとして扱う学問的試みである。従来、哲学は「問い」「真理」「存在」を思索の対象とし、工学は「設計」「実装」「機能」を技術的対象としてきた。思想工学は、この両者をメタ的に統合し、問いそのものを設計対象とする。
思想工学が対象とするのは、価値観や行為様式を支える前提構造(intellectual infrastructure)である。これらは日常的に不可視であり、言語化されないまま制度や文化を規定している。この試みは、例えばフーコーが示した特定の時代や文化の知を規定する「エピステーメー」や、クーンの科学革命における「パラダイム」の分析と問題意識を共有する。しかし、思想工学はそれらの構造を歴史的・社会的な所産として記述・分析するに留まらない。むしろ、その構造自体を未来に向けて意図的に構築・改変可能な「工学的対象」として捉え直す点に、その独自性がある。
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0.2 思想工学が必要とされる理由
現代社会は、多元的価値観の衝突、不確実性の拡大、技術的変化の加速に直面している。哲学的議論は観念的記述に留まり、社会制度や技術設計との接続に弱点を抱えてきた。他方、工学的アプローチは社会を変革してきたが、その背後にある思想的前提を十分に意識化してこなかった。
思想工学は、この断絶を埋めるために登場する。哲学的反省知と工学的設計知を往還可能な構造として統合することで、思想を「設計可能な思考装置」として位置づける。ここで言う「設計」とは、思想を単なる目的達成の手段へと貶める道具主義的な操作を意味しない。むしろ、ハイデガーが警鐘を鳴らしたような、人間を総駆り立て体制(Gestell)に組み込む技術の在り方そのものを、批判的に乗り越えるための「もう一つの技術(ars)」の探求である。すなわち、思想工学は、工学的設計に思想的批判性を埋め込むだけでなく、批判的思索そのものに設計的・構築的な性格を与えることを目指す。それにより、
・哲学的思索を実践的設計へ接続する
・工学的設計に思想的批判性を埋め込む
・学際的断絶を超えた知の循環構造を再構築する
といった効果が期待される。
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0.3 学問的目的
思想工学が学問として目指す目的は、次の三点に要約される。
(1)思想の構造化
思想を「前提」「関係」「主体」「結節点」といった最小単位に分解し、構造的に記述する。
(2)思想の循環化
誤謬・問い・沈黙を、思想の外部にある障害ではなく、その構造に内属する本質的な駆動力とみなす。この点で思想工学は、ポパーの反証可能性や、あるいはヘーゲル弁証法における否定の契機とも響き合う。だが、思想工学は真理への漸進や絶対知への到達を目的としない。むしろ、構造が自己を維持するために、いかにして「問い」を生成し、「誤謬」を誘発し、「沈黙」を要求するのか、その循環的メカニズム自体を記述し、設計の対象とする。
(3)思想の設計化
思想を意図的に再編成し、教育・制度・技術設計に応用可能な「設計学」として展開する。
この三点は、思想を単なる抽象的思索から操作可能な構造へと転換する基盤である。したがって、思想工学は「循環する思想構造の設計学」として確立される。
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0.4 本序説の位置づけ
本稿『思想工学序説』は、新しい学問分野を定義し、その理論的基盤と課題を提示するものである。ここで提示されるのは完成された体系ではなく、問いを設計するための設計図である。思想工学は真理の到達を目的とせず、不完全性と循環性を積極的に受容し、思想の生成を持続させる運動体として機能する。
したがって、本序説が提示するのは、絶対的な正しさを主張する閉じた体系ではなく、自らの前提を絶えず問い直し、他者による改変を歓迎する開かれたアーキテクチャである。思想工学が探求する知の倫理とは、まさにこの「設計責任(design responsibility)」を引き受けることにある。本稿が、その責任を共有する未来の共同研究者との対話の出発点となることを願う。