思想工学ブログ

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豊かさって、GDPだけで測れるの?

限界点を超える方程式が導く「豊かさ」とは何か?第1回
GDPを超えて、未来を設計するための思想工学

私たちは「豊かな国」と聞くと、まず何を思い浮かべるでしょうか?多くの人は、経済が発展していて、生活が便利で、所得水準が高い国を想像するでしょう。

そして、その豊かさを測る最も一般的な物差しがGDP国内総生産です。

ニュースや新聞でGDP成長率が報じられるたび、私たちは「景気が良い」「国が豊かになっている」と安堵します。しかし、GDPが示す豊かさの裏側には、見過ごされてきた多くの限界があることをご存知でしょうか。

この連載では、GDPという限界点を超え、「豊かさ」を根本から問い直す旅に出ます。


GDPが捉える「豊かさ」の正体

GDPとは、国という限られた領域内で、一定期間に生み出されたモノやサービスの付加価値の合計です。

これは、国の経済活動の規模を示す上で非常に優れた指標です。GDPが高ければ、企業は活発に生産を行い、人々は消費を楽しみ、雇用が生まれていると判断できます。経済学の教科書に必ず登場するこの指標は、戦後日本の高度経済成長を語る上で欠かせないものでした。

しかし、GDPがカウントするのは市場で金銭的な価値を持つ取引のみです。

ここに、GDPが示す豊かさの「盲点」があります。


GDPが語らない「豊かさ」の側面

GDPは、私たちの生活の質を本当に測れているのでしょうか?実は、GDPには豊かさの本質を見誤らせるいくつかの決定的な弱点があります。

1. 所得の不平等

GDPは国の経済全体のパイの大きさを示しますが、そのパイがどのように分配されているかは教えてくれません。GDPが高くても、その富がごく一部の人々に集中し、多くの国民が貧困に苦しんでいる場合、私たちはその国を「豊か」と呼べるでしょうか。GDPの数値は、格差社会という現実を覆い隠してしまいます。

2. 非市場活動の価値

家庭での育児や介護、地域のボランティア活動、家庭菜園で自給自足する野菜、これらは私たちの生活を豊かにするかけがえのない活動です。しかし、これらは市場で取引されないため、GDPには一切含まれません。私たちの幸福を支える多くの活動が、GDPの物差しでは「価値がない」ものとされてしまうのです。

3. 負の側面もプラスにカウントされるパラドックス

GDPの最も奇妙な点は、不幸な出来事ですら、経済活動としてプラスにカウントされてしまうことです。 例えば、大規模な自然災害が起きたとします。人々の生活は破壊され、多くのものが失われます。しかし、その後の復旧・復興作業、建材や機械の購入、医療活動などは、すべてGDPを押し上げます。まるで、不幸が経済成長の燃料になっているかのようなこのパラドックスは、GDPが人間の真の豊かさを測る指標たりえないことを物語っています。


豊かさの再定義に向けて

GDPは、経済活動という特定の側面を測る上では非常に有用なツールです。しかし、GDPを唯一の「豊かさの物差し」とすることは、人間の幸福、社会の持続可能性、そして環境への配慮といった、より重要な価値を軽視することにつながります。

次回の記事では、GDPの限界を補うために提唱された、全く異なるアプローチを持つ「豊かさの指標」を見ていきます。それは、幸福度や環境への配慮といった、目に見えない価値を数値化しようとする試みです。

「豊かさ」の定義を広げる旅は、まだ始まったばかりです。